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カラフル

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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テイラー・スウィフトのMVを見ていて、そのカラフルさに強く惹かれている自分を発見した。ホドロフスキーの映画にも通ずる、多様性と受容性がもたらすカラフルさ。そう、自由な世界には色が多い。

ぼくが、超異業種交流会に代表される、「すべての人を肯定する」という行動の先には、そんなカラフルな世界をもたらしたいのだと気付いた。

こないだ「満たしあい、高めあえ」に決めたばかりのミッションも、「世界をもっとカラフルにする」に変えようかとも一瞬思った。が、まだ時期尚早だ。今のぼくには、そんなミッションにしたところで、できることは限られている。カラフルな世界への憧憬は胸にしまいつつ、まずは高みを目指すこととする。

ただ、思いついたその日に、世界の色について考えを巡らしてみるくらい、無駄でも罪でもなかろう。少し自由に考えてみる。

自由な世界には色が多い。逆に、不自由な世界は色に乏しい。1984の世界観然り、共産党の赤然り。

不自由は色を奪う。では不自由とは何か?それは人間の行動や思想を制限することだ。制限は否定によって生まれる。他者を否定すること。それが不自由の根幹だ。

一方で、民主主義社会は、少数派の否定という側面を避けることはできない。最大多数の最大幸福という思想を根源とした多数決が、近代民主主義における意思決定の原則であるからだ。

とはいえ、民主主義が自由を最大化する可能性を持つことも否定はできない。独裁や社会主義が、自由を奪い取っていくことは歴史が証明している。そもそも、多様な人間が同時に暮らすこの社会において、ただ1つの方向性を指し示すことが政府の役割であるとするなら、完全に自由な国家というものは絶対にあり得ない。

その中で、民主主義は(一応)国民が主権を持ち、意思決定に関われるという点で、チャーチルが言うように「最悪だがマシ」だ。

民主主義において、自由を勝ち取るには、多数派になるしかない。ある時期否定されていた少数派の意見や立場を、「否定することが非合理的、カッコ悪い、時代遅れ…」という思想を広めることで、多数派に転化していくこと。これが、民主主義国家における社会をより自由にしていく唯一の道だ。いわば「自由のための多数派工作」と呼んでも差し支えあるまい。

ここで2つの疑問が生まれる。

1つは、「自由のための多数派工作」の結果、少数派に追いやられてしまった人々の自由はどうなるのか?

2つめは、そもそも国家が必要なのか?ということである。

1つ目の疑問については、例えば「差別する自由」と言ってみても良いかもしれない。例えばLGBTQを肯定することが多数派になりつつある社会で、差別意識を持ち続ける自由は保証されるのか?ということである。

これは、「自由を否定する自由」と言っても差し支えあるまい。「戦う民主主義」の思想にも通ずるものがある。この難問は、真剣に検討した後に、個々人がポリシーを決めるたぐいの問題であるように思われる。個人的には「自由を否定する自由」というフレーズを肯定することが、自由の無限退行を引き起こすのは論理的に明らかであるから、「自由を否定する自由」は否定して然るべきと思われる。つまり、「差別する自由」「人に不自由を強制する自由」は認めないという立場だ(モヤモヤが残るのは致し方あるまい)

2つ目の疑問。国家は必要か?

そもそも、国家として1つの意思決定をしなくてはならない、というところに、「その意思決定に不満を持つ者の否定」を引き起こしているのは疑いようがない。

では、そもそも政府が意思決定をしなくてはならない「国家」という枠組みが、不自由の根幹ではないか?

まあ、こんな議論はアナーキズムやリバタリアニズムという文脈で、散々語られてきたことだが、インターネットの登場とグローバル資本主義の浸透によって、今また議論に値する事柄に思える。

実際、グローバル企業や超富裕層は、国家というくびきからも逃れ、自由を獲得している。ある国が、その企業や個人の自由を縛るのであれば、違う国に行けばいい。

もはや、地理的条件によって区切られた国家という枠組みが、時代遅れなものになりつつあると言っても過言ではあるまい。

また、インターネットのおかげで、人々はより一層、地理的条件を意識する必要性を失っている。インターネット上では、人々を強く隔てているものは事実上言語の違いだけだ。そして、インターネットには無限の空間がある。

とはいえ、だ。

人間が、「肉体を存在させなくてはならない」「他者を求める」という性質を持ちうる以上は、「コミュニティ」という現象は存在し続けることだろう。そしてコミュニティには、コミュニティを導く意思決定者がどうしても必要になる。ホラクラシーだとかティール組織だとか、様々な組織形態が提案されてはいるものの、意思決定者を決定的に不要とするコミュニティは存在するまい。

となれば、国家や政府という概念は、何らかの形で残り続けることだろう。その役割の大きさ、カバーする地理的範囲(世界政府とか宇宙進出とかもあり得る)、意思決定手段(民主主義が廃れ、AIがすべて決定するという未来も、もはやSFではない)は、今後も模索が続くとしても。

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