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ミッション

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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昨年後半から、ずっと新たな人生のミッションを模索していた。「人のために生きる」「巻き込みながら上れ」「満たしあい、高めあえ」…

ようやく、新たなミッションステートメントが完成した。

「ワクワクさせまくれ」

である。

新たなミッションを考える上で重要だった「起業家として高みを目指す」「人に価値を提供する」という2つのポイントを押さえつつ、更に以前のミッション・ステートメント「0から1を、1つでも多く」とも整合性の取れた、自分的にかなり納得できるものとなった。

家族を、従業員を、株主を、顧客を、友人を、関わる人すべてをワクワクさせまくる存在。そんな人生は、なかなか悪くない。

謙虚

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。==== 謙虚とは、「人に恵まれている」と本気で言えるかどうかである。
これまでぼくは、自分が調子に乗ってしまわないように、自分の力を過信しないように、そして孤独への備えとして、自分の価値をゼロと見なしてきた。
その極端な思想を変えようとしているのは先に書いた。
そこで向き合っているのが「謙虚さ」である。ぼくはバカだから、自分にも価値がある、なんて認めてしまうと、すぐに過信が頭をもたげてしまいそうだ(そもそも、「無価値である自分」からの脱却は、「人に対して価値判断を行わない自分」なのだが)
この過信をどう抑えるか? 健全な自信を取り戻しつつ。
それは、何事も一人では成し得ないという事実を心に刻み、人に恵まれたから今がある、と心から言えるようになることだろう。
そんな自分になるにはどうしたらいいだろう?簡単なのは、毎日再確認することだ。それも、自分一人で再確認するんじゃない。他者を巻き込んで、それ(人に恵まれていること)を事実化していく。つまり、人に感謝し、人を褒めるということだ。
謙虚な人は、人にいつも感謝している人だ。新しいぼくは、感謝から始めよう。

カラフル

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。==== テイラー・スウィフトのMVを見ていて、そのカラフルさに強く惹かれている自分を発見した。ホドロフスキーの映画にも通ずる、多様性と受容性がもたらすカラフルさ。そう、自由な世界には色が多い。
ぼくが、超異業種交流会に代表される、「すべての人を肯定する」という行動の先には、そんなカラフルな世界をもたらしたいのだと気付いた。
こないだ「満たしあい、高めあえ」に決めたばかりのミッションも、「世界をもっとカラフルにする」に変えようかとも一瞬思った。が、まだ時期尚早だ。今のぼくには、そんなミッションにしたところで、できることは限られている。カラフルな世界への憧憬は胸にしまいつつ、まずは高みを目指すこととする。
ただ、思いついたその日に、世界の色について考えを巡らしてみるくらい、無駄でも罪でもなかろう。少し自由に考えてみる。
自由な世界には色が多い。逆に、不自由な世界は色に乏しい。1984の世界観然り、共産党の赤然り。
不自由は色を奪う。では不自由とは何か?それは人間の行動や思想を制限することだ。制限は否定によって生まれる。他者を否定すること。それが不自由の根幹だ。
一方で、民主主義社会は、少数派の否定という側面を避けることはできない。最大多数の最大幸福という思想を根源とした多数決が、近代民主主義における意思決定の原則であるからだ。
とはいえ、民主主義が自由を最大化する可能性を持つことも否定はできない。独裁や社会主義が、自由を奪い取っていくことは歴史が証明している。そもそも、多様な人間が同時に暮らすこの社会において、ただ1つの方向性を指し示すことが政府の役割であるとするなら、完全に自由な国家というものは絶対にあり得ない。
その中で、民主主義は(一応)国民が主権を持ち、意思決定に関われるという点で、チャーチルが言うように「最悪だがマシ」だ。
民主主義において、自由を勝ち取るには、多数派になるしかない。ある時期否定されていた少数派の意見や立場を、「否定することが非合理的、カッコ悪い、時代遅れ…」という思想を広めることで、多数派に転化していくこと。これが、民主主義国家における社会をより自由にしていく唯一の道だ。いわば「自由のための多数派工作」と呼んでも差し支えあるまい。
ここで2つの疑問が生まれる。
1つは、「…