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資本主義と存在

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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資本主義は、「人がお金を払ってまで存在を望むもの」とそうでないものに事物を切り分ける。お金が払われないものには、存在は許されない。

もちろんこれは非常に単純化したものの見方だ。ただ、マクロな視点で見たとき、この傾向は疑う余地がない。

一つ紛れがあるとすると、ウェブという無限の情報空間が、「失われた存在」の保持と発見を容易にしていることである。ウェブがそうした情報をどれくらい保持していられるのか、その耐久度については、人類はまだ知らない。

こう考えていくと、世の中に物を存在させているのは人々の関心である。事物は、関心を向けられている時のみ存在する。人々がお金を払うかどうかは、関心のバロメーターである。

人が関心を失うと、その事物の存在は過去のものになる。「ある」ではなく「あった」になる。

資本主義が物事の生成と消滅を加速させるのは、自由競争のゆえである。どのような市場においても、激しい競争の末生き残れるのはごく一握りのプレーヤーのみで、それ以外は忘れられていく。そうして生き残ったとしても、破壊的イノベーションにより、市場そのものが忘れられていく。

存在とは、人々の記憶だとも言える。関心を向けられた対象は、人の記憶に留まれる可能性がある。多くの関心を強く集め続けること、それは存在という本質的に不確かなものを、少しでも確固たるものにしたいという、人間の根源的な欲求に思える。こんな欲求を抱くのはおそらく人間だけだ。なるほど、ハイデガーが人間を「現存在」と呼び表した意味はここにあったか。

またこうした欲求こそが、存在に対する執着であり、この執着が人間を苦しめる。この執着を解体しようとするのが、仏教における「空」の思想なのだろう。西洋哲学と東洋哲学は、存在論という根源的なレベルで深くリンクしていると今気付いた。

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虚ろな月

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虚ろ

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白く照り輝いていた

空っぽな私を映す鏡のように
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「本好きの祭典」東京読書サミット#4を開催します!

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16:00-16:30 受付
16:30-16:35 はじめに
16:35-17:20 トークライブ
17:20-17:50 ビブリオトーナメント(予選)
17:50-18:00 10分間休憩
17:55-18:20 ビブリオトーナメント(決勝)
18:20-18:30 結果発表・写真撮影・終了
18:30-19:30 懇親会

ビブリオトーナメントとは?
ビブリオトーナメントとは、参加者同士をつなぐために考案された東京読書サミットの目玉企画です。

このワークショップでは、まず参加者の皆さまをグループに分けたあと、グループ内で「わたしの大事な一冊」をテーマにプレゼン&ディスカッション。

その後投票を行い、一番「読んでみたい」と思わせる本の紹介をした方は、決勝プレゼンに進むことができます。
(決勝プレゼンと言っても、司会者との対談形式で進めますので、あがり症の方でも安心です)



決勝プレゼン後の投票で一位に選ばれたら、その方と、その方を輩出したグループの皆様にはちょっとした景品を贈呈いたします。
ちょっとしたゲーム要素があるおかげで、会話が盛り上がること、グループのメンバーと仲良くなれることは請け合いです😊
トークライブトークライブは、ゲストが「わたしの大事な一冊」をテーマにして、縦横無尽に語り尽くします。

無知

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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今日は、自分が一番物を知らなくて、一番物分りが悪くて、一番ピントがズレてて、そこに居た皆さんが先生で、ずっと緊張してて…最高に楽しかった。ぼくはなんだか、自分の世界を常に広げ続けていたいタイプらしい。願わくば、死ぬまで世界を広げ続けていたいものだ。自分に価値を求めないことで心の安寧を得ている人間としては、自分の慢心を打ち砕き、自分が一番無知であるような場は本当にありがたい。そんな場では、誰もぼくに特段の関心を払わない。なぜなら、その場で一番無価値な人間だからだ。
もちろんそんな場は居心地が悪い。逃げ出したい。不安だ。疲れる。つらい。
しかし、そんな場で素直に自分の無知を認め、自分よりも遥かに年下の人たちに教えを乞うという体験が、最高に刺激的で、生きていると言う実感さえ得られる。逆に言えば、居心地のいい場所でのんびり構えている時は、半ば死んでいるようなものとすら感じられる。願わくば死ぬまでこういう経験をしていきたいものだ。死ぬほど、生きろ。悪くないコピーじゃないか?