注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
====
最近、不確実性のマネジメントに関心が強くある。不確実なものを確実にすると言う過程が、創作活動のすべてだと思うようになったからだ。しかも、一人での作業にも、チームでの作業にも当てはまる汎用性がある。
不確実性を下げるのに必要なのは、物事をどんどん定めていくことだ。何を作るか、なぜ作るかすら定まっていない状態から、大小様々な意思決定を経て、全てが定まり人の手で触れる状態まで落とし込むのが、創造というプロセスだ。
ここで、「意思決定」の話題が出たが、これは「メタとは規則である」「規則とは意思決定の産物である」という、ぼくが最近関心を抱いている事柄に通ずる。
…と、一足飛びに結論めいたものを導き出してこの文章を終わらせることもできるのだが、ふとした思いつきで、不確実性について少し違う角度から考えてみたい。
というのは、「物事をどんどん定めていく」つまり確定させていくというところから、逆に「不確実≒不確定」という図式が思い浮かび、更には「不確定性原理」まで連想したことから、少し知識遊びをしたくなったのだ。
20世紀初頭、科学上3つの発見が人々の価値観を大きく変えた。相対性理論、不確定性原理、不完全性定理である。この3つの原理は、巨視的現象にも、ミクロな現象にも、論理体系にも、どこにも一切「絶対」「確定」「完全」「無矛盾」はあり得ないことを示し、絶対なるものへの信仰を還付なきまでに叩き壊した。
ぼくがこれからしようとしているのは、不確実性の源泉をこれらの概念に求めてみるという遊びである。こうした遊びをしてみることで、単に「不確実性のコーンを早期に収束させるには、精度の高い意思決定をいかに速く行うかに掛かっている」などという通り一編の理屈を超えた、更に面白い洞察を期待するものである。
とはいえこの文章はだいぶ長くなってしまったので、今日はここまで。続く。
コメント
コメントを投稿