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心を開く

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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最近、とても嬉しい変化がある。人が、心を開いてくれがちなのだ。

普通だったら初対面の人間には打ち明けなそうなぶっちゃけ話を聞かせてもらえることが多い。

そのことに気付いたらつい嬉しくて調子に乗ってしまいそうになるが、一方でそれを強く諌める自分がいる。

なぜそこまで強く諌めるのか、と不思議になるくらいに、心の中でブレーキがかかる。その理由を探っているうち、人に心を開いてもらうための「4つのK」を編み出したので、合わせて述べておく。その「4つのK」とは次のようなものだ。

・敬意
・肯定
・関心
・開示

相手に心から敬意を払うこと。どんな人にも敬意を払うようにするには、余計な価値観を投げ捨て、自分の価値への執着を投げ捨て、相手の長所を尊敬し、短所を愛する姿勢が重要である。

肯定すること。あらゆることを無条件で肯定するには、特定の価値観になるべく与しないようにすることが重要だ。

関心を抱くこと。好奇心を持つことが重要だ。知らないことに触れ合うことを喜ぶのだ。

自ら開示すること。自分の弱みや恥を積極的に開示していく。人間には返報性がある。自分が開示した程度に合わせて、相手も開示してくれるのだ。

これらのKを根底で支えているのが、1つ目のKである「敬意」である。 敬意を抱いた相手には、肯定することも、関心を抱くことも、開示することも容易いからだ。

そして、この敬意を万人に払える存在でいたいからこそ、ぼくは自分の驕りを諌めていたのである。驕るということは、自分に特別な価値があることを望むことである。「自分に価値がある」などと考えた瞬間、人と自分の価値を比較する思考が生まれてしまい、人に対して純粋な敬意を払いにくくなるからだ。

「自分には価値などいらない」「無価値な人生で構わない」という健全な開き直りが、人に純粋な敬意を抱く上で重要と考えるのである。

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虚ろな月

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虚ろ

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16:00-16:30 受付
16:30-16:35 はじめに
16:35-17:20 トークライブ
17:20-17:50 ビブリオトーナメント(予選)
17:50-18:00 10分間休憩
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ビブリオトーナメントとは、参加者同士をつなぐために考案された東京読書サミットの目玉企画です。

このワークショップでは、まず参加者の皆さまをグループに分けたあと、グループ内で「わたしの大事な一冊」をテーマにプレゼン&ディスカッション。

その後投票を行い、一番「読んでみたい」と思わせる本の紹介をした方は、決勝プレゼンに進むことができます。
(決勝プレゼンと言っても、司会者との対談形式で進めますので、あがり症の方でも安心です)



決勝プレゼン後の投票で一位に選ばれたら、その方と、その方を輩出したグループの皆様にはちょっとした景品を贈呈いたします。
ちょっとしたゲーム要素があるおかげで、会話が盛り上がること、グループのメンバーと仲良くなれることは請け合いです😊
トークライブトークライブは、ゲストが「わたしの大事な一冊」をテーマにして、縦横無尽に語り尽くします。

無知

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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今日は、自分が一番物を知らなくて、一番物分りが悪くて、一番ピントがズレてて、そこに居た皆さんが先生で、ずっと緊張してて…最高に楽しかった。ぼくはなんだか、自分の世界を常に広げ続けていたいタイプらしい。願わくば、死ぬまで世界を広げ続けていたいものだ。自分に価値を求めないことで心の安寧を得ている人間としては、自分の慢心を打ち砕き、自分が一番無知であるような場は本当にありがたい。そんな場では、誰もぼくに特段の関心を払わない。なぜなら、その場で一番無価値な人間だからだ。
もちろんそんな場は居心地が悪い。逃げ出したい。不安だ。疲れる。つらい。
しかし、そんな場で素直に自分の無知を認め、自分よりも遥かに年下の人たちに教えを乞うという体験が、最高に刺激的で、生きていると言う実感さえ得られる。逆に言えば、居心地のいい場所でのんびり構えている時は、半ば死んでいるようなものとすら感じられる。願わくば死ぬまでこういう経験をしていきたいものだ。死ぬほど、生きろ。悪くないコピーじゃないか?