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ビョーキ

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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最近、心理的なものに興味がある。

ぼく自身、子供の頃から明らかに自閉症スペクトラムの傾向が強く、大人になってからも無感情、コミュニケーションにおける過緊張、想像力の欠如、共感力の欠如などに悩まされてきた(悩んでいるときは自分で気づかないのだが)。

それが変わるきっかけになったのは子供が生まれたことと、コミュニティ活動だ。どちらもこの10年の出来事。深くて広い他者との関わりが、前述の欠損を埋めてくれた。発達障害持ちにありがちな極端さから、今では他者を好きになりすぎるほどに振れてしまった。周りの反応を見る限り、これはこれで正常値を外れてしまっているようだが、今のところメリットのほうが大きいので、正すつもりはない。

で、心理学などを見るに、どうしても難しく感じるのが診断とラベリングだ。ラベリング(に限らず言語の指示作用)は、物事を「それ」と「それ以外のもの」に分ける働きがある。人の特徴や精神状態に、病名としてのラベリングを行ってしまうことが、差別や濫用という副作用を生むのは如何ともしがたい(この問題に対処すべく、スペクトラム状であることを表すネーミングを行ってはいるが、それとて一般人や当の患者相手にはほとんど功を奏していないように思える)。

ただ最近は、ラベリングのメリットにも目が向くようになってきた。適切なラベル(名詞)を与えることで、その対象の存在を喚起し、研究対象とすることができるようになる。
研究対象になれば、対処法も生まれる。対処が難しくとも、少なくとも多くの言語化が行われる。そのテクストを読んで共感や納得することもできる。困ったちゃんの相手をしているとき、そのものズバリのテクストにWebで出会えることの、なんとありがたいことか!

そしてなんといっても、優しくなれる。その「人のせい」ではなく「ビョーキのせい」と思うことができ、人そのものを否定せずに済む。

ビョーキというラベリングを拒絶していたこともあったが、今ではそのメリットもわかり、適切に付き合いさえすれば有用だということだ(適切に、がなかなか難しいのだが)。また一つ学びを得た。

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「本好きの祭典」東京読書サミット#4を開催します!

今週土曜(7/6)、「東京読書サミット」というイベントを開催します📖

このイベントは今回で4回目。
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どんなイベントか? 今回で4回目ですので、だんだんイベントの「型」も定まってまいりました。
毎回こんな構成で行っております。

16:00-16:30 受付
16:30-16:35 はじめに
16:35-17:20 トークライブ
17:20-17:50 ビブリオトーナメント(予選)
17:50-18:00 10分間休憩
17:55-18:20 ビブリオトーナメント(決勝)
18:20-18:30 結果発表・写真撮影・終了
18:30-19:30 懇親会

ビブリオトーナメントとは?
ビブリオトーナメントとは、参加者同士をつなぐために考案された東京読書サミットの目玉企画です。

このワークショップでは、まず参加者の皆さまをグループに分けたあと、グループ内で「わたしの大事な一冊」をテーマにプレゼン&ディスカッション。

その後投票を行い、一番「読んでみたい」と思わせる本の紹介をした方は、決勝プレゼンに進むことができます。
(決勝プレゼンと言っても、司会者との対談形式で進めますので、あがり症の方でも安心です)



決勝プレゼン後の投票で一位に選ばれたら、その方と、その方を輩出したグループの皆様にはちょっとした景品を贈呈いたします。
ちょっとしたゲーム要素があるおかげで、会話が盛り上がること、グループのメンバーと仲良くなれることは請け合いです😊
トークライブトークライブは、ゲストが「わたしの大事な一冊」をテーマにして、縦横無尽に語り尽くします。

無知

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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今日は、自分が一番物を知らなくて、一番物分りが悪くて、一番ピントがズレてて、そこに居た皆さんが先生で、ずっと緊張してて…最高に楽しかった。ぼくはなんだか、自分の世界を常に広げ続けていたいタイプらしい。願わくば、死ぬまで世界を広げ続けていたいものだ。自分に価値を求めないことで心の安寧を得ている人間としては、自分の慢心を打ち砕き、自分が一番無知であるような場は本当にありがたい。そんな場では、誰もぼくに特段の関心を払わない。なぜなら、その場で一番無価値な人間だからだ。
もちろんそんな場は居心地が悪い。逃げ出したい。不安だ。疲れる。つらい。
しかし、そんな場で素直に自分の無知を認め、自分よりも遥かに年下の人たちに教えを乞うという体験が、最高に刺激的で、生きていると言う実感さえ得られる。逆に言えば、居心地のいい場所でのんびり構えている時は、半ば死んでいるようなものとすら感じられる。願わくば死ぬまでこういう経験をしていきたいものだ。死ぬほど、生きろ。悪くないコピーじゃないか?

笑み

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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今この瞬間にしか書けないことを書く(だからこそあとで見ても意味がわからない、たぶん)。ちゃんと笑っている。ちゃんと無意識に笑みを浮かべている。ぼくの意見を否定されたのに。そのことに気付いたとき、ものすごく嬉しかった。ぼくは今、くだらない自尊心が心のどこにも無かった。目的が達成できるなら自分の意見や存在などどうでもいいと思っていた。そして、人が遠慮ない意見をぼくにくれる、この状況を心から楽しんでいた。40年生きて、ようやくここまで来た。第一歩だ。自分のことを健やかに軽んじることができた。ありがたし。