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2019

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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一年の計は元旦にあり、というので、何か練ってみるとしよう。

と言っても、今の立場から言うと、当面目標は一つしかない。

事業計画を達成することだ。

この目標のためには、個人の経営スキルと、企業組織の双方に、加速度的な成長が求められる。一年が過ぎた頃には、全く異なるプロダクト、異なる組織、異なる経済的環境にいることだろう。

そしてその過程で、企業のミッションステートメントとして掲げた「関心で世界をつなぐ」、及び事業ミッションである「日本を世界一のIT国家にする」に向けて、大きな進展を経ていようし、そうあらねばならない。

つまり、今よりもっと多くの面白いこと、面白い人に囲まれているだろうし、たくさんの人を集められる存在になっているだろうし、IT業界において、個人的にも会社的にも大きなプレゼンスを獲得しているだろう。

このように、未来のことについて断定的な口調で語るようになったことは、昨年自分に起きた大きな変化である。一昨年までのぼくは、未来は不確定なものとしか認識しておらず、未来について語ろうとすることすらなかった。

今は、未来というものを達成すべき目標として捉えるようになっており、語ることにためらいがなくなった。目標とは、自らが成したいことである。語ることに躊躇いが生じるとすれば、達成不可能な目標の場合のみであるが、それは目標の掲げ方次第でどうとでもなる。

あとは、こうした目標を数値として落とし込めるようにならねばならない。そのためには、常日頃から物事を数字で捉えるクセをつけていかねば。そんなクセすら身についていない今は、経営者としてまだまだ未熟すぎる。やるべきことは山積している。

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虚ろな月

月が綺麗だった

空っぽな私を映す鏡のように
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手を伸ばせども届かず
見つめれば雲間に隠れ

私の小さなよしなしごとなど
すべて見透かしているかのように
もしくはなにも知らぬかのように

そこにただ
月はあるのみ

ただあるものに意味を宿すのは人
宿した意味に揺さぶられるのも人

ならば意味を宿すに意味はあるか
この詩を綴ることに意味はあるか

虚ろ
虚ろ

虚ろな月が
白く照り輝いていた

空っぽな私を映す鏡のように
月が綺麗だった

「本好きの祭典」東京読書サミット#4を開催します!

今週土曜(7/6)、「東京読書サミット」というイベントを開催します📖

このイベントは今回で4回目。
毎回「本」と「本好きの人々」に囲まれた、幸せな空間を演出しております。
どんなイベントか? 今回で4回目ですので、だんだんイベントの「型」も定まってまいりました。
毎回こんな構成で行っております。

16:00-16:30 受付
16:30-16:35 はじめに
16:35-17:20 トークライブ
17:20-17:50 ビブリオトーナメント(予選)
17:50-18:00 10分間休憩
17:55-18:20 ビブリオトーナメント(決勝)
18:20-18:30 結果発表・写真撮影・終了
18:30-19:30 懇親会

ビブリオトーナメントとは?
ビブリオトーナメントとは、参加者同士をつなぐために考案された東京読書サミットの目玉企画です。

このワークショップでは、まず参加者の皆さまをグループに分けたあと、グループ内で「わたしの大事な一冊」をテーマにプレゼン&ディスカッション。

その後投票を行い、一番「読んでみたい」と思わせる本の紹介をした方は、決勝プレゼンに進むことができます。
(決勝プレゼンと言っても、司会者との対談形式で進めますので、あがり症の方でも安心です)



決勝プレゼン後の投票で一位に選ばれたら、その方と、その方を輩出したグループの皆様にはちょっとした景品を贈呈いたします。
ちょっとしたゲーム要素があるおかげで、会話が盛り上がること、グループのメンバーと仲良くなれることは請け合いです😊
トークライブトークライブは、ゲストが「わたしの大事な一冊」をテーマにして、縦横無尽に語り尽くします。

無知

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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今日は、自分が一番物を知らなくて、一番物分りが悪くて、一番ピントがズレてて、そこに居た皆さんが先生で、ずっと緊張してて…最高に楽しかった。ぼくはなんだか、自分の世界を常に広げ続けていたいタイプらしい。願わくば、死ぬまで世界を広げ続けていたいものだ。自分に価値を求めないことで心の安寧を得ている人間としては、自分の慢心を打ち砕き、自分が一番無知であるような場は本当にありがたい。そんな場では、誰もぼくに特段の関心を払わない。なぜなら、その場で一番無価値な人間だからだ。
もちろんそんな場は居心地が悪い。逃げ出したい。不安だ。疲れる。つらい。
しかし、そんな場で素直に自分の無知を認め、自分よりも遥かに年下の人たちに教えを乞うという体験が、最高に刺激的で、生きていると言う実感さえ得られる。逆に言えば、居心地のいい場所でのんびり構えている時は、半ば死んでいるようなものとすら感じられる。願わくば死ぬまでこういう経験をしていきたいものだ。死ぬほど、生きろ。悪くないコピーじゃないか?