注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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メタとは規則である。この着想を得てから数日経つが、今のところぼくの中で反証は見つかっていない。その定義を前提として、様々な思索が広がっている。
例えば物事をメタ的に考える、とはどういうことかを考えてみた。少し客観的に物事を考えるだけでも、それはメタ的だと言われることが多い。
そもそも考えるとは、もとよりメタ的な行為である。では、メタ的な行為である「考える」と、メタである「規則」の関係はどうなっている?
そこには「決める」という行為が深く関わっている。現在の仮説を言うと、「決める」という行為は常にメタレベルを生じさせる。何事かを決めるということは、何らかのルールを生みだすということだからだ。「決める」を「定める」と言い換えてみればわかりやすい。
しかしこの仮説は正しいのだろうか?決めるという行為が全てメタレベルを生み出すのであれば、メタは至るところにあることになる。
メタを生みだすのはあらゆる決定ではなく、「ルールを決める」という種類の決定だけがメタを生み出すのではないのか?
ここは詳細な検討が必要だ。
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