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12月, 2018の投稿を表示しています

留め

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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日々に忙殺され、感じたことや思ったことが、すぐに流されていってしまう。
昔はそれでいいと思っていた。そんな中でも、残ったものが本当に大事なものなのだと。

今もその思いはそれほど変わるところでもないのだが、それだと結局、日々の思考の大半を占める事柄 - 多くは仕事に起因する論理的なこと - ばかりが記憶に残り、感情的なこと、些細なこと、形を成していない思いなどがどんどん忘れ去られてしまう。

そうしたよしなしごとを書き留めておく時間も、今は大事なのだと思うようになった。そんなことに時間を使うのを無駄に近く思う自分もいる、その一方で。

一度書き留めておくことで、些細なことや感情的なことを一度は記憶から呼び覚まし、反芻する。それが「自分」というとりとめもない、ふわふわしたものに少しずつ影響していく。今ではそれを疑うものではない。

なので、ここでは今この瞬間に思い出し、感じていることを率直に書く。論理もなく。恥も外聞もなく。見栄もなく。照れもなく。矛盾も恐れず。後の心変わりも恐れず。

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愛は大事だ。それも、見返りを求めない愛が。キリストが「無償の愛」を説いたのも、今この瞬間ならわかる。

人を愛おしく思う気持ち、そこから相手を大切にしようと思う気持ちが生まれ、とことん相手の立場に立とうという気持ちにつながる。そうして得られるコミュニケーションは非常に良質で、他者と心が繋がった感覚は何ものにも代えがたい幸福感をもたらす。

ここで見返りを求めてしまうと、エゴが生じる。自分の愛情に応えてほしい、という欲望が生まれる。それはつまり、他者が自分の意に沿うことを望むことだ。そして、絶対に他者は自分の意に沿う存在になったりはしない。だから苦しみが生まれる。怒りが生まれる。意志のすれ違いが生まれ、幸福から遠ざかってしまう。

そういうことなのだ。

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以前つらかったことを思い出すと、最近なぜか微笑んでやまない。その当時は、つらい、死にたい、身を引きちぎられるような思いを感じていた出来事の数々。

微笑めるということは、きっと昇華したんだろう。それらは自分の内面に取り込まれて、ぼくの一部となったのだろう。

でも、なぜ微笑みが漏れるのかがわからない。そうした心の働き、自分の内面に潜む不思…