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問題解決

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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問題解決には、2つのアプローチがある。

1つは帰納的アプローチ。「なぜ?」を積み重ねていき、原因を特定するというやり方だ。例えばプログラムのデバッグ、数学的帰納法などが挙げられる。通常問題解決と言えばこちらのアプローチが想像されよう。

もう1つはメタ的アプローチだ。問題が生じている前提そのものを変更してしまい、問題そのものをなくしてしまう。こちらのアプローチは、例えば「ソフトウェアの品質と開発効率を向上したい」という場合にフレームワークを開発したり、仕事が締め切りに間に合わないときにゴールそのものを変更する、などの例が挙げられる。

これらのアプローチは、どちらも一長一短ある。

帰納的アプローチは、多くの場合即効性があるし、多くの人が慣れ親しんでいるアプローチでもある。ただ、問題の捉え方が近視眼的になったり、解決できる問題の範囲が狭かったりする。

メタ的アプローチは、多くの場合コストがかかる。また、メタ的な思考が得意な人が多くはない、組織において前提を変えるためには権力が必要、前提を変えたときに生じる結果が予想しきれない、長期的視野が必要になるため、拙速な結果を求める人には価値が伝わりづらい、と言った問題がある。ただし、その効果の大きさは凄まじい。

これらは使い分けが必要であると同時に、人によって好みの分かれるところでもあろう。

ぼくは個人的にはメタ的なアプローチを常に好んでしまうが、使い分けも必要だ。

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虚ろな月

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虚ろ

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「本好きの祭典」東京読書サミット#4を開催します!

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毎回「本」と「本好きの人々」に囲まれた、幸せな空間を演出しております。
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16:00-16:30 受付
16:30-16:35 はじめに
16:35-17:20 トークライブ
17:20-17:50 ビブリオトーナメント(予選)
17:50-18:00 10分間休憩
17:55-18:20 ビブリオトーナメント(決勝)
18:20-18:30 結果発表・写真撮影・終了
18:30-19:30 懇親会

ビブリオトーナメントとは?
ビブリオトーナメントとは、参加者同士をつなぐために考案された東京読書サミットの目玉企画です。

このワークショップでは、まず参加者の皆さまをグループに分けたあと、グループ内で「わたしの大事な一冊」をテーマにプレゼン&ディスカッション。

その後投票を行い、一番「読んでみたい」と思わせる本の紹介をした方は、決勝プレゼンに進むことができます。
(決勝プレゼンと言っても、司会者との対談形式で進めますので、あがり症の方でも安心です)



決勝プレゼン後の投票で一位に選ばれたら、その方と、その方を輩出したグループの皆様にはちょっとした景品を贈呈いたします。
ちょっとしたゲーム要素があるおかげで、会話が盛り上がること、グループのメンバーと仲良くなれることは請け合いです😊
トークライブトークライブは、ゲストが「わたしの大事な一冊」をテーマにして、縦横無尽に語り尽くします。

無知

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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今日は、自分が一番物を知らなくて、一番物分りが悪くて、一番ピントがズレてて、そこに居た皆さんが先生で、ずっと緊張してて…最高に楽しかった。ぼくはなんだか、自分の世界を常に広げ続けていたいタイプらしい。願わくば、死ぬまで世界を広げ続けていたいものだ。自分に価値を求めないことで心の安寧を得ている人間としては、自分の慢心を打ち砕き、自分が一番無知であるような場は本当にありがたい。そんな場では、誰もぼくに特段の関心を払わない。なぜなら、その場で一番無価値な人間だからだ。
もちろんそんな場は居心地が悪い。逃げ出したい。不安だ。疲れる。つらい。
しかし、そんな場で素直に自分の無知を認め、自分よりも遥かに年下の人たちに教えを乞うという体験が、最高に刺激的で、生きていると言う実感さえ得られる。逆に言えば、居心地のいい場所でのんびり構えている時は、半ば死んでいるようなものとすら感じられる。願わくば死ぬまでこういう経験をしていきたいものだ。死ぬほど、生きろ。悪くないコピーじゃないか?