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創造2

創造に伴うメタ的な問題に関する考察の続き。

創造における最も困難で、創発的な行為の一つにネーミングがあり、名と体は相互に影響し合いながら、創造物のクオリティが向上していく。ここで、名と体にメタな関係は成り立つのか?コピーライティングしているときは、名を生み出す行為がメタ的に上位に感じられているのだが、一度名が決まると、今度はその名をどう解釈するかという、体が名に対してメタ的に上位に振る舞い始める(ように見える)。この現象をどう説明するか?

すぐさま答えが出る問題でもなさそうなので、思いつくままに寄り道しながら考えよう。一つ気づいたこととしては、名と体は決して同じ情報量を有してはいないということだ。名を生み出す際、何を考えるかというと、体のすべてを表したくとも短い言葉では表せないので、最も特徴を捉え、最も人の心に響き、記憶に残る名前を選びとろうとする。言ってみればこれは情報の不可逆圧縮だ。

GEBで示されていた例の多くは、単純なインタープリターであり、情報量に違いがなかったように思う。遺伝暗号を解釈するリボソーム然り、ゲーデル数然り。不可逆に圧縮され、情報の多くが失われるからこそ、様々な解釈が可能になるという現象と、メタ的な問題との関係はどうなっているのだろう?

また、忘れないうちに書いておくと、そもそも創造という観点からメタについて語ろうと思った動機は2つある。
1つは、ぼくがこの思索を通じて、創造的行為をよりうまく行えるようになりたいことを
もう1つは、創造という行為が、「メタ情報の生成、操作」を伴っているように思うからだ。メタ情報を自在に生み出し操ること、これこそが創造的行為の本質であり、人間にしか成しえないことのように思える(AIに人間存在を脅かされている今、この仮定もいささか心もとないが)。

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ミッション

今日はぼくにとって重要な日となった。
個人のミッションステートメントを変更したのだ。

新しいミッションステートメントは「ひとのために生きる」である。

これまでのミッションステートメントは「0から1を、1つでも多く生み出す」であった。2014年、とあるイベントで人前で宣言してしまい、それ以来従事してきたミッションだ。それに従って数多くの物事を生み出してきて、クリエイティブな思考の鍛錬と、多くの人々をつないできた。

しかし数を追う思考になってしまい、集中力の欠如、配慮の欠如、作り手中心の目線、自己中心的な心理、サステナビリティの欠如、家族との時間が減る、などの弊害も生み出してきた。

とはいえ物事はすべて表と裏、トレードオフがあるものだ。弊害があったとしても、それを反省、後悔してミッションを変えるに至ったわけでもない。

ただ、スタートアップ創業者という立場によって集中を余儀なくされ、ミッションを字義通りに追いかけていくことが難しくなったこと、そして何より、ミッション・ステートメントから力を得られなくなっていたことが問題であった。

ミッションとは、自分の行動を一貫させ、意思決定のコストを減らし、物事を迅速に進めるためにある。そうした力を得られないミッション・ステートメントは、かえって弊害にしかならない。実際、ここ最近、謎のストレスと不完全燃焼感に付きまとわれていた。

そうしたとき、自分が最もやる気が出ることに思いを馳せると、「人が喜んでくれるのが嬉しい」というシンプルなことであった。自分の行動や言動で、人が笑顔になってくれることが嬉しい。その笑顔のためなら、自分は限界以上の力を出せる。

だから、「ひとのために生きる」である。

きれいすぎるフレーズなのは自覚している。個人のミッションは、あくまで自分のためのものなので、人にどう思われるかはどうでもいい。

コピーライターとして一つだけ工夫したのは、「ひと」をひらがなで開いたことだ。この「ひと」には、どんな漢字を充てても良い。「他人」でもいいし、「人」でもいいし、「人間」でもいい。

ただ、「ヒトノタメニイキル」というフレーズを耳にしたら、まずは「他人のために生きる」という漢字を想起するだろう。まずはそれでいい。その後、自分を含む「人」のために生きるというのもありだな、とか、「人間」もありだなとか、思い至ればいい。この、「『他人』…

「本好きの祭典」東京読書サミット#4を開催します!

今週土曜(7/6)、「東京読書サミット」というイベントを開催します📖

このイベントは今回で4回目。
毎回「本」と「本好きの人々」に囲まれた、幸せな空間を演出しております。
どんなイベントか? 今回で4回目ですので、だんだんイベントの「型」も定まってまいりました。
毎回こんな構成で行っております。

16:00-16:30 受付
16:30-16:35 はじめに
16:35-17:20 トークライブ
17:20-17:50 ビブリオトーナメント(予選)
17:50-18:00 10分間休憩
17:55-18:20 ビブリオトーナメント(決勝)
18:20-18:30 結果発表・写真撮影・終了
18:30-19:30 懇親会

ビブリオトーナメントとは?
ビブリオトーナメントとは、参加者同士をつなぐために考案された東京読書サミットの目玉企画です。

このワークショップでは、まず参加者の皆さまをグループに分けたあと、グループ内で「わたしの大事な一冊」をテーマにプレゼン&ディスカッション。

その後投票を行い、一番「読んでみたい」と思わせる本の紹介をした方は、決勝プレゼンに進むことができます。
(決勝プレゼンと言っても、司会者との対談形式で進めますので、あがり症の方でも安心です)



決勝プレゼン後の投票で一位に選ばれたら、その方と、その方を輩出したグループの皆様にはちょっとした景品を贈呈いたします。
ちょっとしたゲーム要素があるおかげで、会話が盛り上がること、グループのメンバーと仲良くなれることは請け合いです😊
トークライブトークライブは、ゲストが「わたしの大事な一冊」をテーマにして、縦横無尽に語り尽くします。

無知

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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今日は、自分が一番物を知らなくて、一番物分りが悪くて、一番ピントがズレてて、そこに居た皆さんが先生で、ずっと緊張してて…最高に楽しかった。ぼくはなんだか、自分の世界を常に広げ続けていたいタイプらしい。願わくば、死ぬまで世界を広げ続けていたいものだ。自分に価値を求めないことで心の安寧を得ている人間としては、自分の慢心を打ち砕き、自分が一番無知であるような場は本当にありがたい。そんな場では、誰もぼくに特段の関心を払わない。なぜなら、その場で一番無価値な人間だからだ。
もちろんそんな場は居心地が悪い。逃げ出したい。不安だ。疲れる。つらい。
しかし、そんな場で素直に自分の無知を認め、自分よりも遥かに年下の人たちに教えを乞うという体験が、最高に刺激的で、生きていると言う実感さえ得られる。逆に言えば、居心地のいい場所でのんびり構えている時は、半ば死んでいるようなものとすら感じられる。願わくば死ぬまでこういう経験をしていきたいものだ。死ぬほど、生きろ。悪くないコピーじゃないか?