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通じ合い

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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気持ちの悪いタイトルだ。
そして、気持ちの悪い内容を書く。

友だちづくりが下手で、孤独感に苛まれた少年時代を送ってきたからか、今のぼくはコミュニケーションに対して異常な執着がある。フェチである、と言ってもよい。

「心が通じてるな」と思えるコミュニケーションのあとは、とても気分が良い。

が、その逆になると大変だ。「通じなかった」「すれ違ったまま終わった」なんてコミュニケーションのあとは、ひどく落ち込む。激しく自責するし、後悔もするし、いつまでも引きずる。
自然と忘れられればいいのだが、本当にぼくはディスコミュニケーションが苦手なので、トラウマレベルに忘れられない。結果、考え続ける。足掻く。自分が納得できる行動や解釈ができるまで、それは続く。

先日もそういうことがあったばかりだ。辛くて辛くて死にそうだった。色んなジレンマと同時にディスコミュニケーションも発生していたものだから、辛さの理由がそこにあると気付くのが遅れて、塞ぎ込む日々が続いていた。終わってみれば結局、自分の独りよがりな言動がコミュニケーションを阻害していて、相手が何を考え何を望んでいるのか全くわからない…というのが辛さの原因の多くを占めていた。

この一件があってからというもの、本当にぼくは反省をした。ぼくの人生にとって、ディスコミュニケーションは最大限の努力を払ってでも忌避すべき事柄なのだと。さもないと身がもたない。精神力も時間も膨大に費やされてしまう。

ということで、ぼくは人と関わる際には「通じ合い」を最大のテーマとすると決めた。独りよがりなコミュニケーションはもう二度とするまい。あらゆる人の良き聞き手、誠実な相談役、インタビュアーを目指す。これはその決意表明である。

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虚ろな月

月が綺麗だった

空っぽな私を映す鏡のように
虚ろな月が
白く照り輝いていた

手を伸ばせども届かず
見つめれば雲間に隠れ

私の小さなよしなしごとなど
すべて見透かしているかのように
もしくはなにも知らぬかのように

そこにただ
月はあるのみ

ただあるものに意味を宿すのは人
宿した意味に揺さぶられるのも人

ならば意味を宿すに意味はあるか
この詩を綴ることに意味はあるか

虚ろ
虚ろ

虚ろな月が
白く照り輝いていた

空っぽな私を映す鏡のように
月が綺麗だった

「本好きの祭典」東京読書サミット#4を開催します!

今週土曜(7/6)、「東京読書サミット」というイベントを開催します📖

このイベントは今回で4回目。
毎回「本」と「本好きの人々」に囲まれた、幸せな空間を演出しております。
どんなイベントか? 今回で4回目ですので、だんだんイベントの「型」も定まってまいりました。
毎回こんな構成で行っております。

16:00-16:30 受付
16:30-16:35 はじめに
16:35-17:20 トークライブ
17:20-17:50 ビブリオトーナメント(予選)
17:50-18:00 10分間休憩
17:55-18:20 ビブリオトーナメント(決勝)
18:20-18:30 結果発表・写真撮影・終了
18:30-19:30 懇親会

ビブリオトーナメントとは?
ビブリオトーナメントとは、参加者同士をつなぐために考案された東京読書サミットの目玉企画です。

このワークショップでは、まず参加者の皆さまをグループに分けたあと、グループ内で「わたしの大事な一冊」をテーマにプレゼン&ディスカッション。

その後投票を行い、一番「読んでみたい」と思わせる本の紹介をした方は、決勝プレゼンに進むことができます。
(決勝プレゼンと言っても、司会者との対談形式で進めますので、あがり症の方でも安心です)



決勝プレゼン後の投票で一位に選ばれたら、その方と、その方を輩出したグループの皆様にはちょっとした景品を贈呈いたします。
ちょっとしたゲーム要素があるおかげで、会話が盛り上がること、グループのメンバーと仲良くなれることは請け合いです😊
トークライブトークライブは、ゲストが「わたしの大事な一冊」をテーマにして、縦横無尽に語り尽くします。

無知

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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今日は、自分が一番物を知らなくて、一番物分りが悪くて、一番ピントがズレてて、そこに居た皆さんが先生で、ずっと緊張してて…最高に楽しかった。ぼくはなんだか、自分の世界を常に広げ続けていたいタイプらしい。願わくば、死ぬまで世界を広げ続けていたいものだ。自分に価値を求めないことで心の安寧を得ている人間としては、自分の慢心を打ち砕き、自分が一番無知であるような場は本当にありがたい。そんな場では、誰もぼくに特段の関心を払わない。なぜなら、その場で一番無価値な人間だからだ。
もちろんそんな場は居心地が悪い。逃げ出したい。不安だ。疲れる。つらい。
しかし、そんな場で素直に自分の無知を認め、自分よりも遥かに年下の人たちに教えを乞うという体験が、最高に刺激的で、生きていると言う実感さえ得られる。逆に言えば、居心地のいい場所でのんびり構えている時は、半ば死んでいるようなものとすら感じられる。願わくば死ぬまでこういう経験をしていきたいものだ。死ぬほど、生きろ。悪くないコピーじゃないか?