注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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権利、という言葉にある種の難しさを感じる。権利とは「主張するもの」と相場が決まっているが、そこにある「声の大きさ」や「押し付けがましさ」、「言ったもん勝ち」というニュアンスはどうにも扱いづらいものを感じる。
とはいえ権利という概念を否定するものでは全くない。この世は残念ながら永遠に不平等だが、不当に扱われているマイノリティなどにとっては、権利を主張し、社会に存在を知らしめ、自分たちにも生きやすいように社会をアップデートする提案をしていくことは、大いに推奨されるべきものだ。
一方ぼくは、権利の主張という行為と無縁の人生を送ってきている。それはぼくがたまたま、理不尽な不平等に晒されることがなかった…という幸運に恵まれてきたということの証なのかもしれない。ただもう一つ言えるのは、ぼくは性格上「大声を張り上げる」ような行為がとことん苦手だということである。これでもまあ、いじめとか疎外とかそれなりに理不尽な目にあってきた記憶もあるが、その時ぼくは大概だんまりを決め込んできた。理不尽というのは他者によってもたらされるものであり、他者とは自分の意にならぬもの。他者を変えるのは容易ではない。理不尽が一瞬で終わるなら我慢するか、続いたりあとに影響することであれば、他者を変えるよう努力するしかない。
そうか、権利の主張というのは、他者を変えようとする行為のことだ。そういう意味では「説得」と目的は変わらない。権利の場合は、不特定多数の人に向かって変化を促そうとするから、どうしても短いキャッチフレーズやキーワードを捻出せざるを得ず、そうなると解釈の余地が多分に生まれ、論争が沸き起こりやすい。こういうことか。
オチなし。
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