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存在

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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ハイデガーが人間という概念を「現存在」とわざわざ読み替えていた意味はよく知らぬ。が、人間同士が存在を認識し記憶するとき、そこには特別な意味を有することがある。

人はふとした偶然で、誰かにとって特別な存在となる。親子。兄弟。夫婦。恋人。ライバル。親友。

誰かにとって自分が特別な存在である、というのは何にもまして甘美な経験である。それは「自分の存在がこの世で代替が効かないもの」とみなされることに他ならず、自分という存在の圧倒的な肯定と同義であるからだ。

それだけに、その立場が脅かされることは、大きな不安と恐怖をもたらす。子供が親離れしようとしていることに気づいたとき。恋人が自分のもとを去ろうとしているとき。人は必死に悲しみを抑え、少しでも長く相手を手元に置いておきたいと願う。相手にとって、自分が特別な存在である期間を少しでも伸ばそうとする。

恋人と別れたときのように、自分が相手の中で「その他大勢」と同じになってしまったとき、その寂しさはどうすれば癒やされるのだろう?自分の存在が、この世界の中でまた一つ軽くなってしまった悲しみを、どうすれば振り切れるのだろう?

忘却することだ。どうせ、ほかのどんなもので埋め合わせようとしても、埋め合わせきれるものではない。相手にとって自分が特別であったように、自分にとっても相手は特別で、世界でただ一つの存在なのだから。

年を取ると、別れが日常となり、別れの悲しみにも鈍感になれるそうだ。それはすなわち、自分の存在がこの世界でどんどん軽くなっていくことに慣れるということ。そんな日々を恐れる自分がいる。しかし、そんな日々を少し心待ちにしている自分もいる。

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虚ろな月

月が綺麗だった

空っぽな私を映す鏡のように
虚ろな月が
白く照り輝いていた

手を伸ばせども届かず
見つめれば雲間に隠れ

私の小さなよしなしごとなど
すべて見透かしているかのように
もしくはなにも知らぬかのように

そこにただ
月はあるのみ

ただあるものに意味を宿すのは人
宿した意味に揺さぶられるのも人

ならば意味を宿すに意味はあるか
この詩を綴ることに意味はあるか

虚ろ
虚ろ

虚ろな月が
白く照り輝いていた

空っぽな私を映す鏡のように
月が綺麗だった

「本好きの祭典」東京読書サミット#4を開催します!

今週土曜(7/6)、「東京読書サミット」というイベントを開催します📖

このイベントは今回で4回目。
毎回「本」と「本好きの人々」に囲まれた、幸せな空間を演出しております。
どんなイベントか? 今回で4回目ですので、だんだんイベントの「型」も定まってまいりました。
毎回こんな構成で行っております。

16:00-16:30 受付
16:30-16:35 はじめに
16:35-17:20 トークライブ
17:20-17:50 ビブリオトーナメント(予選)
17:50-18:00 10分間休憩
17:55-18:20 ビブリオトーナメント(決勝)
18:20-18:30 結果発表・写真撮影・終了
18:30-19:30 懇親会

ビブリオトーナメントとは?
ビブリオトーナメントとは、参加者同士をつなぐために考案された東京読書サミットの目玉企画です。

このワークショップでは、まず参加者の皆さまをグループに分けたあと、グループ内で「わたしの大事な一冊」をテーマにプレゼン&ディスカッション。

その後投票を行い、一番「読んでみたい」と思わせる本の紹介をした方は、決勝プレゼンに進むことができます。
(決勝プレゼンと言っても、司会者との対談形式で進めますので、あがり症の方でも安心です)



決勝プレゼン後の投票で一位に選ばれたら、その方と、その方を輩出したグループの皆様にはちょっとした景品を贈呈いたします。
ちょっとしたゲーム要素があるおかげで、会話が盛り上がること、グループのメンバーと仲良くなれることは請け合いです😊
トークライブトークライブは、ゲストが「わたしの大事な一冊」をテーマにして、縦横無尽に語り尽くします。

無知

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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今日は、自分が一番物を知らなくて、一番物分りが悪くて、一番ピントがズレてて、そこに居た皆さんが先生で、ずっと緊張してて…最高に楽しかった。ぼくはなんだか、自分の世界を常に広げ続けていたいタイプらしい。願わくば、死ぬまで世界を広げ続けていたいものだ。自分に価値を求めないことで心の安寧を得ている人間としては、自分の慢心を打ち砕き、自分が一番無知であるような場は本当にありがたい。そんな場では、誰もぼくに特段の関心を払わない。なぜなら、その場で一番無価値な人間だからだ。
もちろんそんな場は居心地が悪い。逃げ出したい。不安だ。疲れる。つらい。
しかし、そんな場で素直に自分の無知を認め、自分よりも遥かに年下の人たちに教えを乞うという体験が、最高に刺激的で、生きていると言う実感さえ得られる。逆に言えば、居心地のいい場所でのんびり構えている時は、半ば死んでいるようなものとすら感じられる。願わくば死ぬまでこういう経験をしていきたいものだ。死ぬほど、生きろ。悪くないコピーじゃないか?