注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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この時代において、強要は最も罪深いとされることの一つではなかろうか。
パワハラ、セクハラなど各種ハラスメントへの猛烈な風当たりや、様々なメディアでの言論の状況を鑑みても、社会のあらゆるシーンで、意に沿わぬことや興味のないこと、つまらないことを他者から強要することは、最大級の非難を浴びて然るべき、とコンセンサスができつつあるように思う。
素晴らしいことだ。
ぼくは自由という言葉が何よりの大好物である。そんなぼくからすると、他者に何事かを強要する、つまらない仕事を延々とやらされるというのは、他者の自由を侵害する行為にほかならない。
こうした時代の背景には、SNSで誰もが発言できるようになったことはもちろん、AIブームの影響も無視できまい。人間がやるべきかどうか微妙、というようなつまらない仕事がどんどんと淘汰されつつあるという中で、「それは人間がやるべきか?」という点から仕事というものを評価する目線は確実に浸透している。
強要という行為を限りなくゼロに近づけ、誰もが自由に自分のやりたいことを追求できる社会の到来は確実に近付いている。それは人類が初めて迎える時代。その前に、「AIに仕事を奪われる」という悲観的なフェーズを乗り越える必要はあるが。
ただ、おそらく「仕事」や「資本主義」は残り続けると考えてはいる。いやむしろ残さねばならない。
ベーシックインカムに代表されるような「反仕事」的思想は、一見「仕事という不自由」から人類を解放するかのごとく思えるが、それはかつての共産主義国家がたどった失敗をなぞることになる。
資本主義には様々な欠点があることは間違いないが、市場という仕組みがもたらす自由は本物だ。資本主義を小刻みに修正し続けながら、よりクリエイティブな行為がより高い金銭的価値で取引されるようになる、それがあるべき未来であるように今は思う。
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