2016年10月11日火曜日

哲学脳

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。 
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ゆるふわ哲学コンパというイベントを先日(2016/10/6)に行った。4時間近くに渡り、哲学めいた話に時間と脳を費やした。

哲学にこれほど長時間想いを馳せるのは、実に久しぶりの体験だ。最初のうちは、脳のチャンネルがなかなか合わなくて苦労した。

チャンネルが合わないと、個々の思想を形成する論理を思い出せず、結論だけになってしまう。なぜニーチェはキリスト教への攻撃と、西洋哲学全般への攻撃を同時に行ったのだったか。なぜフッサールは主観と客観の問題を掘り下げることで諸学問の基礎づけを行えると考えたのだったか。うーむ、思い出せない。再勉強が必要だな。

だがまあ、途中から少しずつ哲学的な脳が暖まってきて、最後の方では割と哲学的な直観を取り戻せていたように思う。

哲学を学んできて良かったと思うことは、論理の組み立てが上手になったことだ。しかしここでいう論理の組み立てとは、一分の隙もない論理を構築して相手の反論を許さない、ということではない。むしろ逆だ。自分が限られた情報しか持っていないこと、自分の認知能力には限界があること、自分の考えにはバイアスがかかっている可能性があること…などを率直に受け入れた上で、相手に助けを求めつつ自分なりの論理を披露することだ。事象の分析に費やす時間も、集められる情報も限られているのが世の常であり、その中で最善の結果を導くためには、穴だらけの論理(仮説ともいう)を持ち寄って現実への近似と置き、具体的な行動を以って望む未来を手繰り寄せる努力をしていくほか、ないように思える。