スキップしてメイン コンテンツに移動

驚き

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。 
----
家族や友人と過ごす日々の中でたまに、「自分の死を悲しむかもしれない人がいる」ということを思い、その度にいつも新鮮な驚きを感じている。

そんな人は一人もいない、という方が自然に思える。理に適っているように思える。ぼくの死を悼む人がいる、というのはどうにも奇妙だ。理に合わないように感じる。

同様に、ぼくの言葉や行動が人に影響を与えたりする、という現象にも不思議を感じる。いや、そんな事はこれまでも一度もなかったのではないか。ぼくの言動が人の人生に影響をもたらすなんてことが、あり得るのだろうか?あり得ないことのように思える。しかしどうやら、多少はそんなこともあるようなのだと最近はうすうす感じており、やはり理に背いているような違和感を感じてならない。

別に、自己の存在を否定しているとか、自己嫌悪しているとかではない。本気で、このようなことを、ただ、感じているのだ。

別に原体験というわけではないだろうが、こういうことに思いを馳せた時に、必ずと言って良いほど思い出すエピソードがある。20代半ば、どこで知り合ったのかは忘れたが、とあるベンチャーの社長に入社を勧められた事がある。その時ぼくはある開発のプロジェクトに携わっていて、割と要職を務めていたつもりでもあったので、「自分が抜けると迷惑がかかる」と言うような事を言っていた。その時に、そのベンチャー社長が言った言葉が、当時のぼくには衝撃的だった。

「あなたがいなくてもプロジェクトは回るんだよ」

この言葉を聞いた時、ぼくはそれを真実だ、と捉えた。そして不思議と、その事を悲しむ気持ちとかは起きなかった。むしろ、今まで気付かなかったことに気付いたという爽快感、自身が精神的に成長したような気にさえなったものだ。そう、プロジェクトはぼくが居なくてもきっと大した問題もなく回る。果たしてそれはプロジェクトに限った話なのか?世界はどうだ?ぼくがこの世界から居なくなっても、世界はなんの問題もなく回るだろう。ぼくが居ても居なくても、世界は1ミリも変わらない。

この感覚を、ぼくはネガティヴな意味付けをほとんどすることなく、正しいと確信した。このブログで言うところの思考の結び目を、固く結んだのだった。ネガティヴな感情を伴わなかったことは、割と容易に証明できる。なぜならぼくはこの感覚をその後事あるごとに利用したからだ。いわば道具として。自分が世界に一切の影響を及ぼさないというのは、ある意味とても楽な立場だ。何をしても許される。ぼくがどんなことを述べても、何をしても、物事は壊れない。そんな気楽さを持って、その後数年、傍若無人に振る舞っていたことを今でも思い出す(さすがにその態度には問題があり、態度を見直さなくてはならなかったが)。

そして今もなお、ぼくは世界に影響しないという感覚は、自分の中に根強く残っている。単なる思い込みなのは分かっているので、解体しようと思えばできそうなのだが、その思い込みを解いてしまうと、人や世界に対して影響力を「持ちたい」という増長に繋がりそうで、それはなんとなく美学に反するなーという思いもあり、そのままにしている。だからぼくは未だに、色々やりたがる癖に、それが社会や他人に影響を及ぼすとは本気で信じていないという、矛盾の中に生きている。

コメント

このブログの人気の投稿

ミッション

今日はぼくにとって重要な日となった。
個人のミッションステートメントを変更したのだ。

新しいミッションステートメントは「ひとのために生きる」である。

これまでのミッションステートメントは「0から1を、1つでも多く生み出す」であった。2014年、とあるイベントで人前で宣言してしまい、それ以来従事してきたミッションだ。それに従って数多くの物事を生み出してきて、クリエイティブな思考の鍛錬と、多くの人々をつないできた。

しかし数を追う思考になってしまい、集中力の欠如、配慮の欠如、作り手中心の目線、自己中心的な心理、サステナビリティの欠如、家族との時間が減る、などの弊害も生み出してきた。

とはいえ物事はすべて表と裏、トレードオフがあるものだ。弊害があったとしても、それを反省、後悔してミッションを変えるに至ったわけでもない。

ただ、スタートアップ創業者という立場によって集中を余儀なくされ、ミッションを字義通りに追いかけていくことが難しくなったこと、そして何より、ミッション・ステートメントから力を得られなくなっていたことが問題であった。

ミッションとは、自分の行動を一貫させ、意思決定のコストを減らし、物事を迅速に進めるためにある。そうした力を得られないミッション・ステートメントは、かえって弊害にしかならない。実際、ここ最近、謎のストレスと不完全燃焼感に付きまとわれていた。

そうしたとき、自分が最もやる気が出ることに思いを馳せると、「人が喜んでくれるのが嬉しい」というシンプルなことであった。自分の行動や言動で、人が笑顔になってくれることが嬉しい。その笑顔のためなら、自分は限界以上の力を出せる。

だから、「ひとのために生きる」である。

きれいすぎるフレーズなのは自覚している。個人のミッションは、あくまで自分のためのものなので、人にどう思われるかはどうでもいい。

コピーライターとして一つだけ工夫したのは、「ひと」をひらがなで開いたことだ。この「ひと」には、どんな漢字を充てても良い。「他人」でもいいし、「人」でもいいし、「人間」でもいい。

ただ、「ヒトノタメニイキル」というフレーズを耳にしたら、まずは「他人のために生きる」という漢字を想起するだろう。まずはそれでいい。その後、自分を含む「人」のために生きるというのもありだな、とか、「人間」もありだなとか、思い至ればいい。この、「『他人』…

「本好きの祭典」東京読書サミット#4を開催します!

今週土曜(7/6)、「東京読書サミット」というイベントを開催します📖

このイベントは今回で4回目。
毎回「本」と「本好きの人々」に囲まれた、幸せな空間を演出しております。
どんなイベントか? 今回で4回目ですので、だんだんイベントの「型」も定まってまいりました。
毎回こんな構成で行っております。

16:00-16:30 受付
16:30-16:35 はじめに
16:35-17:20 トークライブ
17:20-17:50 ビブリオトーナメント(予選)
17:50-18:00 10分間休憩
17:55-18:20 ビブリオトーナメント(決勝)
18:20-18:30 結果発表・写真撮影・終了
18:30-19:30 懇親会

ビブリオトーナメントとは?
ビブリオトーナメントとは、参加者同士をつなぐために考案された東京読書サミットの目玉企画です。

このワークショップでは、まず参加者の皆さまをグループに分けたあと、グループ内で「わたしの大事な一冊」をテーマにプレゼン&ディスカッション。

その後投票を行い、一番「読んでみたい」と思わせる本の紹介をした方は、決勝プレゼンに進むことができます。
(決勝プレゼンと言っても、司会者との対談形式で進めますので、あがり症の方でも安心です)



決勝プレゼン後の投票で一位に選ばれたら、その方と、その方を輩出したグループの皆様にはちょっとした景品を贈呈いたします。
ちょっとしたゲーム要素があるおかげで、会話が盛り上がること、グループのメンバーと仲良くなれることは請け合いです😊
トークライブトークライブは、ゲストが「わたしの大事な一冊」をテーマにして、縦横無尽に語り尽くします。

無知

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
====
今日は、自分が一番物を知らなくて、一番物分りが悪くて、一番ピントがズレてて、そこに居た皆さんが先生で、ずっと緊張してて…最高に楽しかった。ぼくはなんだか、自分の世界を常に広げ続けていたいタイプらしい。願わくば、死ぬまで世界を広げ続けていたいものだ。自分に価値を求めないことで心の安寧を得ている人間としては、自分の慢心を打ち砕き、自分が一番無知であるような場は本当にありがたい。そんな場では、誰もぼくに特段の関心を払わない。なぜなら、その場で一番無価値な人間だからだ。
もちろんそんな場は居心地が悪い。逃げ出したい。不安だ。疲れる。つらい。
しかし、そんな場で素直に自分の無知を認め、自分よりも遥かに年下の人たちに教えを乞うという体験が、最高に刺激的で、生きていると言う実感さえ得られる。逆に言えば、居心地のいい場所でのんびり構えている時は、半ば死んでいるようなものとすら感じられる。願わくば死ぬまでこういう経験をしていきたいものだ。死ぬほど、生きろ。悪くないコピーじゃないか?