2016年2月12日金曜日

IoC

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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昨今、有名人の覚せい剤使用が大きな話題になっているが、それを見て、「ぼくは麻薬の売人を肯定できるか?」という思考実験をしていた。

あらゆる価値観を肯定したいと望み、いろんな思考実験をして来た。そのおかげで、以前は許せなかった様々なものを許せるようになってきた。不道徳なことや、自己中心的なことも。だが、麻薬の売人を肯定するのには相当な心理的ハードルがある。

だが、あらゆる価値観を相対化し、そこには善も悪もないという立場を徹底するならば、例え麻薬の売人と言えども肯定出来なくてはおかしい。それは頭では分かっているのだが、どうしても肯定できない、「したくない」自分がいる。この現象について考えていたのだった。

そこで気付いたのは、「肯定したくないならしなければいい」という事である。当たり前の事のようだが、これはぼくにとって大きな発見であった。

なるほど世界に絶対的な善悪などない。例え道徳や法がそれを禁じていたとしても、それが悪である根拠は、突き詰めれば存在しない。

その事実に自分の内面も合わせなくてはならぬと、この世のあらゆる現象を肯定しなくてはと思っていた。そういう人間にならなくてはと思っていた。

だがそれは、自分の中にあるあらゆる価値観や道徳のたがを外す事であり、自身のモラルハザードを引き起こす結果に繋がる。今までの自分には、それは不可避の現象であり、道徳を含む様々な不自由から逃れるためのトレードオフなのだと思っていた。

しかし、そうではない。自分が、そうしたルールを気に入れば、それらを「守る」ことを選んでも良いのだ。麻薬を売るという行為が好きでないなら、人間を破壊するドラッグがなくなればいいと思うのなら、そのルールを支持すればいい。

この文章のタイトルである「IoC(Inversion of Control)」とは、プログラミングアーキテクチャの用語で、「制御の反転」を意味する。今回ぼくが発見したことはこれだ。絶対的に守らねばならないルールや価値観など、ない。しかし、ルールや価値観は、確かに世の中に存在はする。ぼくはただ、自らが望むように、そうしたルールを「使って」行けばいい。

ルールを、守りたいから守る。守りたくないルールは、守らない。ルールを守らねばならない根拠を、外に求めない。これが、「ルールを守らねばならないルールはあるか?」という問いが引き起こす無限退行を押しとどめる唯一の道だ。自分がそうしたいから、ルールを守る。もしくは破る。

これにより、「由なきこと」に思えていた世の中のルール全てが、「由」(根拠)を持つようになる。その根拠とは、自分である。由は我にあり。これが「自由」という言葉の意味するところである、と今は思うことにしよう。