2016年2月8日月曜日

押し売り

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。 
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自己の価値観を解体する、ぼくの編み出したボキャブラリーで言うなら「結び目をほどく」ということだが、その道半ばにして、一つ困っていることがある。他者が持つ価値観とどう折り合うか、という問題だ。

この数年というもの、結び目をほどいてばかりいる、つまり自分の中の思い込みを解体しようとばかりしているおかげで、なるほどそういう作業には長けてきた。自分の中に生じた結び目を見つけてはほどく。ほどく。結び目は、気付かぬうちにすぐできている。今日この文章を書こうと思ったのだって、自分の中に「結び目は解くのが望ましい」という思い込み=結び目が生まれているのを発見したためだ。

そんな作業に慣れてきたからといって、調子に乗って他者の結び目まで解いてみようとしたりする。新たな何かを身につけたと思い上がった時の、お決まりのパターンだ。

そんな中で、ふと気づく。結び目をほどくことは、そんなに望ましいことなのであろうかと。

人が何かを信じている。その確信には根拠がないかも知れないことを示してみる。すると、一瞬ハッとした顔をした後、少し考え込むような顔になる。

その後、目をキラキラさせて「世界の見方が変わった」とでも感謝の言葉を述べてくれることをこちらは期待する。しかし、結果は芳しくないことが多い。「そういう見方もあるね、でも…」と不満気だったり、ひどい時には、自分の思い込みを正当化しようとする方向にエネルギーが向かってしまい、さらにその結び目が固くなってしまうこともある。

例えば自分の仕事に誇りを持てぬまま、金のために働いている風俗嬢がいたとする。彼女に「職業に貴賎なし」を説いて「自分の仕事に誇りを持つべきだ」などと高説を垂れたところで、彼女の心には少しも響くまい。彼女が望むことは、職種の肯定ではない。自分の肯定なのだ。

要は、結び目をほどくことを相手が望んでいないのに、ぼくが調子に乗ってほどこうとするのがおかしいのだ。還元の押し売りだ。「結び目は解いた方が良い」という新たな思い込みが、ぼくの中に生じていたのだ。だから押し売りする。

そもそも普通の人が持ち合わせている結び目の数々は、この社会を生きていく上で普通に持ち合わせておくべき価値観であり、普段は解体する必要のないものだ。そうした結び目に疑問を持たずに生活することで、人はもっと高次の生産活動や、知識や経験を獲得しているのだ。ぼくが、結び目をほどこうと遊んでいる間に、みんなもっと生産的な事をしている。

自分に向けて、敢えて言いたい。結び目をほどこうなんてことに、思い込みを解こうなんてことに、人生の時間を膨大に費やすことは、無駄であると。無駄だから、普通はそこまで時間を費やさない。

ぼくはその無駄を、好きだからやっている。いわば趣味だ。哲学だの思索だのと、まるで高級な事をしているつもりになるのは愚の骨頂。恥を知れ、と自分に言い聞かせたい。