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筋道

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。 
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昨日、日曜日朝にやっている将棋の番組を見ていて、取材を受けていた棋士が興味深いことを言っていた。その棋士は、将棋に限らず政治、経済、文化を幅広く網羅する知識の持ち主だとのことだった。彼が言うには、「すべて将棋に強くなるため」なのだという。

なぜ、政治や経済について学ぶことが、将棋の強さに繋がるのか、その筋道は門外漢にはわからぬ。しかし同時に、その気持ちは痛いほどよくわかる。ぼくは、「将棋に強くなる」と言った明確な目標は持たぬまでも、自分の世界を広げたいという欲望は常に切実に感じているからだ。

しかしここでいつもネックになっていたのが、自分が物事に対して関心を向ける際の「癖」だ。ぼくの関心の向け方は、母親譲りなのだろう、深くて狭い。一度のめり込むと周りが見えなくなるタチだ。そういう言い方をすると、人から「そこまでのめり込めるなんて羨ましい」と言われる事も多いが、ぼくからすると自然にバランスの取れた関心を配れるタイプが羨ましくてしょうがない。ぼくはこの性格のせいで、いつまで経っても世間知らずだし、自分が関心を持てないことを「価値が低い」と断じてしまう悪い癖からなかなか抜け切れない。

ただ、最近では朗報もある。1つは、自分が歩み始めた「起業家」という道は、あらゆることに関心を配ることが、本当に重要だということ。経営者にとって世間知らずは致命的だ。それは、あらゆることに関心を配らねばならない理由となる。そして、理由があるとぼくはハマれるタイプである。筋道が必要なのだ。件の棋士も、きっとそういうタイプだと信じて疑わない。

もう1つは、価値観に関してグダグダ考えていたおかげで、先に述べた悪癖 ー 自分が関心を持てないことの価値を低く見積もろうとする ー が、克服できる兆しが出て来たということ。まだまだ完全には程遠いが、自分が何かの価値を低く見積もろうとした瞬間に、「待て」が掛かるようになってきた。価値を低く見積もろうとしているのは、自分の理解が足りていないからではないか?というわけだ(そしてそれは常に正しい)。すると、自分が関心を向けていなかったところにこそ、価値があるもの、面白いものがあるのではないかと思えるようになる。自然な関心が沸き起こるようになってきた。

最近だと、これまで全然興味なかった国際関係や歴史、地理などに少しずつ興味が湧いてきたのを感じる。悪くない。

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両端

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根源を求める、という思考様式を繰り返してきた。

なぜ?を繰り返して根源にたどり着く。
問題を分解し、少数(できれば一つ)の要素にたどり着く。

別にこういう思考様式が悪いとは思わない。こういう思考様式を繰り返してきたからこそ、得られるものもある。「詳細まで知り尽くす」事によってしか得られないものは、あるものだ。
物理運動を語るとか、システムの動きを語るとか。内部を語り、モノを自在に操るには、どうしても細部に向かう思考が必要となる。

ただ、現在事業づくりをしていて、こうした思考様式が全く通じない世界があるとわかった。投資家は、哲学を求めない。原因を求めない。まず「どう儲かるのか?」が説明できないと、全く話にならない。

いつもの癖で、ぼくが抱えるこうした問題の根源をやはり求めてみる。思うに、根源を求める思考と、ビジネス的なマインドの間には、大きく分けて2つの隔たりがある。

一つは、根源を求める活動は静的であることだ。根源にたどり着いたと思ったところで、そこには運動がない。対して、ビジネスは非常にダイナミックだ。時間の経過で状況はどんどん変化する。

もう一つは、根源を求めたところで、その根源となる部分の寄せ集めで全体を語ることができないということだ。これはシンプルに全体論の議論と重なる。部分を足し合わせても全体にはならない。

そして更にこれはレベルがある。低レベルの詳細は、それより上のレベルからは隠蔽されているし、そうあるべきだ。分子運動を研究する研究者は、原子核の詳細を知る必要はない。心理学を研究する研究者は、脳細胞の詳細を知る必要はない。そして、経営をするものは製品の詳細を知る必要はないし、投資を行うものは企業活動の詳細を知る必要はないのだ。

そんなことはない、という反論もあろう。低レベルの詳細を知っておくに越したことはない、と。その反論に対し、実際の現象を引き合いに出さずに再反論することは難しい。天候現象を知るために、クオークの理論を知る必要があるだろうか?と。ただ、これは経験したことがない人に心の底から納得してもらうのは極めて難しいように思える。

今苦しんでいることは、上の2つ、ダイナミズムへの無理解と、全体論的な現象に集約されていると言っていい。

ぼくは、時系…

符号

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物事は重なるものである。

仕事や個人的なイベントのラッシュをくぐり抜け、なんとか平穏な精神生活を取り戻してから1週間。

長らく溜まっていたタスクたちを全て消化したその日。

会社の将来を占う、極めて重要な通達がなされた。

決していいニュースではない。ただ、「会社ごっこ」をやめ、本気で経営に取り組まねばならないという危機感をもたらしてくれるという意味では、決して悪い話ではない。

ぼくの人生のフェーズが変わる。それを象徴するかのような1日を終え、決定的なシーンを何度も反芻し、胸を締め付けられるような切なさと感謝を感じながら、挑戦者の気持ちを胸新たに、多少の高ぶりを感じている。悪くはない。

こうした物事の重なりはただの偶然と知りつつも、そこに意味を見出そうとするのは愚かだと知りつつも、戯れに「運命」などを感じてみる。そのほうが面白いがゆえに。

虚ろな月

月が綺麗だった

空っぽな私を映す鏡のように
虚ろな月が
白く照り輝いていた

手を伸ばせども届かず
見つめれば雲間に隠れ

私の小さなよしなしごとなど
すべて見透かしているかのように
もしくはなにも知らぬかのように

そこにただ
月はあるのみ

ただあるものに意味を宿すのは人
宿した意味に揺さぶられるのも人

ならば意味を宿すに意味はあるか
この詩を綴ることに意味はあるか

虚ろ
虚ろ

虚ろな月が
白く照り輝いていた

空っぽな私を映す鏡のように
月が綺麗だった