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周回

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。 
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先日のIoCというタイトルの文章を書き終えたあと感じているのが、「また一周回った」という感覚である。

こうした感覚は、実は初めてのことではない。散々色んなことを考え漁った挙句、現実世界に「戻ってくる」という感覚だ。

といっても、旅をして戻ってきたという感覚とは違う。考えを進めるうちにどんどん現実世界から思考が乖離していき、ただの抽象的な記号を操作するような段階を経て、結局は現実世界をただ説明しただけに過ぎないということに気付くという体験である。

この体験を繰り返すうち、自分の「考え癖」みたいなものに特別な価値を置かなくなったのは良い傾向だ。昔は「哲学をしてる自分」にいくばくかの陶酔を感じていたものだが、結局その結果がいつも「あれ?これだけ?」という程度の収穫しかないものだから、これは大いなる無駄である、普通の人はこんなことに時間を使うべきではない、ただぼくはその無駄が好きだからやっているだけだと結論づけるに至ったのだ。

とはいえまあ、全くの無駄とも思ってはおらぬ。一周するたび、以前よりほんのちょっと世界に納得する。世界を説明するシナリオを、一つ増やすことができる。今回のシナリオはこんな感じだ。(今回の文章は、今回の周回に関するログを残すことが目的なので、いつもよりさらにひどい)

ぼくは価値や価値観と言った問題に深い関心を寄せている。その理由は様々だが、主なものを以下に挙げる。

1つは、価値観という物差しが現実認識を歪めることへの問題意識。バイアスなどと呼ばれる現象だ。経営者を志す以上、現実をシビアに捉える感覚が重要だと思ったのだ。

1つは、特定の価値観を支持すると必ず誰かを否定することになるということ。それにより、何人もの人を傷付けてきた。もう誰も否定したくない。あらゆる価値観を肯定したい。

更に1つ挙げるなら、仕事の面でいろんな角度で発想したり、様々な立場の人に配慮したりすることが求められたからだ。画一的な価値観にしがみついていては、発想の幅が限られてしまうし、違う立場に対する配慮も限られる。

そうした内的な要請により、ぼくは特定の価値観に与せず、あらゆる価値観を肯定する態度を身に付けられないかと模索した。そのためにぼくが依ったのが、価値の実在を否定するという手段である。

改めて価値の実在性に疑いの目を向けてみると、価値とは総じて無根拠なものであると気付く。何かが「良くて」、何かが「悪い」と判断するには、何らかの基準が必要だが、概してその基準とは人為的な論理に基づくものだ。

価値基準とはいわば一種のルールである。そのルールが守られる絶対的な保証などない。ルールを守れ、というルールは、無限退行を引き起こす。あらゆる価値観は、疑い得る存在なのだ。

そして、実在と存在の境目とは実は曖昧なもので、そこにある違いは確信の度合いでしかない。例えば目に見え触れるものは、その存在を疑い難く、実在すると感じるに十分な信頼を寄せられる。一方で、目に見えないものの存在は、なかなか信じることができない。目に見えぬ放射能のように。

こうして、価値という存在への絶対性を疑うことにより、価値の実在を否定することで、あらゆる価値の存在を否定し、あらゆる価値観を等しく無価値と見なし、あらゆる価値観を否定しない態度を身に付けようとしたのだった。

果たして、この試みはある程度成功し、従来否定していたものの多くを肯定できるようになった。また、法や道徳と言った社会的な価値観も相対化できたため、精神的な自由も獲得できた。すなわち、「悪を行う自由」の発見である。

しかし、新たな問題も生じる。1つは、生きている限り、価値観の相対化を徹底させることは不可能であると気付かざるを得なかったこと。もう1つは、多くの人が備えている価値感覚をすべて「(無益な)思い込み」と断じてしまう危険性だ。

1つ目の問題について。
すべては等しく無価値、と言う態度を徹底させることは不可能である。あらゆる価値判断が不可能になってしまうからだ。

よく考えると、人間の価値判断というものは、生物としての本能に根ざしたものであるに違いない。生きるため、食うため、殖えるためには、危険より安全を、不味いものより美味いものを、弱いつがいよりも強いつがいを、という判断が必要になる。こうした判断は、それぞれに価値を伴うものと言って差し支えあるまい。どれほど価値を相対化しようとも、生きる上で必要不可欠な価値観というものが残る限り、徹底させることは叶わぬ夢なのだ。

2つ目の問題は、他者の価値観をすべて単なる思い込みとして処理しようとする態度が発生してしまったことだ。

価値観は思い込みの一種であるということに間違いはないとしても、その思い込みが無益であるという前提は間違っている。それどころか、ほとんどの人にとって、それらの価値観は必要に迫られて保持していたり、好んで保持していたりするものであって、有益無益を他者が論じるような類のものではない。というか、それこそ価値観の押し付けではないか。

しかし、価値が相対的だと知りつつ、自発的に価値観を選び取っていくことはできるのではないか。それが今回、論理の円環を閉じることができた気付きであった。なるほど価値観なくしては、生きていくこともままならない。そして人は、自覚しているとしていないに関わらず、価値観の網の目を意識上に張り巡らせ、世界を眺めている。価値観というフィルターがどうしても必要ならば、必要に応じて使い分けていけばいい。

これでようやく、ぼくの内面が、「普通の人」と同じく構成できることになった。価値観のフィルターを幾重にも重ね合わせた内面世界。それを常態として受け入れる態度。しかし少しだけ、以前と違うことがあるとすれば、そのすべてが疑い得ると知ったこと、その「疑わしいもの」を、必要に応じて、もしくは自ら好んで選び取るという意識。

価値観を始めとした様々なルールには、「疑い得ない地点」を求めることはできぬ。絶対性は見果てぬ夢だ。しかしそれらのルールの存在を受け入れ、自らが望んで受け入れるなら、「自ら」がそのルールを守るべき根拠となる。それが自由という言葉の意味である。


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ゆるGEB(げぶ)という読書会を開催しました

昨日、通称「ゆるげぶ」こと「【ゆるふわ】ゲーデル・エッシャー・バッハ読書会」という会を催してきた。

その名の通り、ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環という本をみんなで読む会である。株式会社コパイロツトさんに場所をお借りして、男性3名、女性5名という男女比での開催となった。なんの気負いも打算もなく、純粋に(知的)好奇心だけで行動できる人が女性には多い。これって実はすごいことだと思う。

そして、「ゆるく読もう」をテーマに集まり、参加者みなそれを心がけていたはずなのに、結局のところ3時間超、自己紹介の時間を除いても2時間程度、みながみな必死に思考の限りを尽くす時間となった。

まだ序論しか読んでいない状態なので、「この本はどんな本(だった)か」を語れる立場にない。しかしそれでも言えることは、とにかく難物である。文章そのものは平易で、表現もストレート。難しい専門用語もほとんど使わない。なのに、難しい。とにかく次々に「知性で乗り越えねばならない壁」を眼前に突きつけられるような感覚を抱かされる本である。

だからこそ、乗り越えた時は喜びもひとしおである。昨晩は、「数論の命題を数で表すことができれば、数論の命題が数論の命題についての命題であり得ることを見抜いた」という文章(P.33)について、参加者が次々に説明にトライしては玉砕していたり、集合についての問題(P.37)についてみんなで数十分頭を悩ませたり…と、これまでの人生であまり出会ったことのない体験に遭遇できた。いろんなイベントを企画してそれなりの体験をしてきた身としては、こういう新感覚に出会うことは望外の喜びである。そうか、人間は難しいことに悩むという体験も、共有することでエンターテイメントに昇華できるのだな、と。

個人的な理解はまだまだ追いついていない状態だが、これからの展開に対する予感も含めて現時点での感想を書くと、「『(論理的に)考える』とは何なのか」について語っている本なのだろうと感じている。

アキレスが亀に追いつけない」という逸話で有名なゼノンのパラドックスや、「クレタ人はみな嘘つきである」で有名なエピメニデスのパラドックス、そして先ほどの集合はラッセルのパラドックスから着想した問題らしいが、現実世界では問題にならないことが、思考で捉えようとすると、論理として成立せず、真とも偽とも言えない状態が…

符号

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物事は重なるものである。

仕事や個人的なイベントのラッシュをくぐり抜け、なんとか平穏な精神生活を取り戻してから1週間。

長らく溜まっていたタスクたちを全て消化したその日。

会社の将来を占う、極めて重要な通達がなされた。

決していいニュースではない。ただ、「会社ごっこ」をやめ、本気で経営に取り組まねばならないという危機感をもたらしてくれるという意味では、決して悪い話ではない。

ぼくの人生のフェーズが変わる。それを象徴するかのような1日を終え、決定的なシーンを何度も反芻し、胸を締め付けられるような切なさと感謝を感じながら、挑戦者の気持ちを胸新たに、多少の高ぶりを感じている。悪くはない。

こうした物事の重なりはただの偶然と知りつつも、そこに意味を見出そうとするのは愚かだと知りつつも、戯れに「運命」などを感じてみる。そのほうが面白いがゆえに。

2017

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やはりというかなんというか、去年末に色々振り返って書こうと思っていたのに、そのまま年を越してしまった。
どうせなら軽く振り返ったり、今年の抱負を述べてみるとする。

去年は、TechFeed 開発の傍ら、いろんな企画ごとに取り組んだ。ざっと挙げてみるとこんな感じ。

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【運営中のプロダクト】
・TechFeed…エンジニア向けニュースアプリ&コミュニティ
・HTML5Experts.jp…Web技術者向けメディア&コミュニティ

【運営中コミュニティ】
・読書するエンジニアの会(2009年〜)…テーマ型読書会。もう110回もやっている…!
・やせ隊(2016年〜)…ほとんど活動休止中。ダイエットできてないから😫来年頑張る
・ゆるGEB (2017/4/27〜)…「ゲーデル、エッシャー、バッハ」という難読本をゆるく読むコミュニティ。月イチ開催
・なんでも鑑賞団 (2017/6/9〜)…お酒飲みながらみんなで映画見てダベるのが中心のコミュニティ。月イチ開催

【イベント企画・運営】
・1/17 Webの未来を語ろう メディア編…対談イベント&記事化
・1/18 Webの未来を語ろう コミュニティ編…対談イベント&記事化
・1/29 作田高志さん結婚式二次会…「作田全開」がテーマ。面白かった。
・2/20 Webの未来を語ろう コンテンツ編…対談イベント&記事化
・3/31 3月お誕生日会…3月生まれを集めて飲み会。
・4/4 Web Components時代のCSS設計…対談イベント&記事化
・4/17 TechPub#2 コンセプトメイキングワークショップ…コンセプトメイキングをテーマに初のワークショップ
・4/21 懐テク#0…対談イベント&記事化
・4/27 Mastodonを支える技術…対談イベント&記事化
・5/20,21 ONA Japanハッカソン…メディア各社集めての大ハッカソン大会。世界大会予選という位置づけ。
・5/22 Hello Again#1…一度会ったきりとかご無沙汰な方を集めての飲み会。個人的に超気に入ってる企画
・8/3 TechFeed Meetup…TechFeedのユーザー集めてのミートアップ初開催。あえての小規模。
・8/2…