2016年1月26日火曜日

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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法とは、ルールとは何か、というのは、ぼくの中で数年来に渡って残り続けている問題である。今も、会社に人を増やして組織を作っている最中なので、ルール作りの難しさや意義について日々考えている。

そんな中、ぼくの想像力を刺激してくれる、以下のような記事に出会った。

これは何かの冗談ですか? 小学校「道徳教育」の驚きの実態 法よりも道徳が大事なの!?


著者は憲法学者の方だそうで、読み応えのある文章である。このようなテキストに出会うと、「考えたい」という欲求が刺激される。少し自分の意見も述べたくなってくる。知識も見解もこの記事の著者に及ぶべくもないと知りつつ、このブログは読者不在を心掛けているので、「素人が何を言うか」というそしりも恐れずに何事かを語ってみよう。

上の記事によれば、法と道徳の間には普遍性の有無という違いがあるとのことである。ぼくはここに疑問を覚える。上の記事の著者も、「『日本国内での』普遍性」という二重カッコ書きを意識的にか、無意識的にか除いているが、ぼくはそこを重視する。「限られた地域の中で、これまでの歴史を踏まえつつ、なるべく普遍であろうとする努力がなされている(が、そもそも人が決めるものなので、真に普遍的ということはあり得ないが)」などと、クドイけれど、述べてくれるならしっくりくる。「法と、道徳や地域法の違いは普遍性である」と言われると、そうではないように思えるのだ。

ぼくが考えるに、国の法とは、「国内共通のルールである」というこの一点のみが他との違いである。明文化されていること、強制するための実力機関を持つこと、罰則も合わせて定められること、民主的に決定されること、司法機関を伴うこと…といった事柄は、特に国法に限ったものではない。ただ単に、国がやるから、そのそれぞれに膨大なコストを掛けられるというたけだ。どれも「ルール」という、極めて人間的な社会現象に他ならない。

ぼくはその、「ルール」というやつそのものが気になる。ルールとは何か。その功罪は?