2016年1月28日木曜日

感情

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。 
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昨日、「なぜ人を殺してはいけないか」を考えた際、法的、社会的な面から考えるのみで、感情面についての考察が足りないことに思い至った。完全に片手落ち。論理のみで考えるからこうなるのだ。

もちろん、法的に許されていないから、もしくは「みんながダメだと思っているから」という説明が有効でないとは言わない。しかし、人を「傷付けたくない」という気持ちも、確実に存在する。

こうした気持ちを持たない人間がいるであろうことも、人の命が軽い地域や時代があることも承知の上だ。そういう点で、ぼくはカントのように「道徳とはアプリオリな存在である」などと言うつもりはない。

ただ、論理を突き詰めていくと感情の存在を無視しがちである、という傾向に抗うため、帰納を一旦エポケーして、人を傷つけまいという感情が半ば本能的に生じるという現実をそのまま受け入れたいのだ。

だから、例えば「人を殺してはなぜいけないか?」を問われた際、第三の回答 - 「だって嫌だから」というのが、あっても良い。極めて主観的で、極めて普遍性に欠け、極めて説得力のある答え。結局、主観的な感情をストレートに出した言葉に、論理は敵わないのだ。そりゃそうだ。客観というのは、結局この多様な世界を「普遍性」で乱暴に括ろうとする無謀に過ぎないのだから。