2015年12月21日月曜日

謙虚

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。 
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今年あった、非常に好ましい変化としては、謙虚になったことが挙げられる。

スタートアップをやる、となると、一人ではできないことだらけなわけで、自然と自分の力の至らなさ、小ささを悟る。今まで持っていた自信なんてものは、自分にできることの範囲内が世界の全てだったと勘違いしていたことに起因するとしか、今は思えない。

「努力すれば、なんでもできる」という幻想は、はるか遠いものになってしまった。ついでに言えば、努力すれば報いられるなんてことも思ってない。自分に何がしかの価値があるなんてことも思わないし、そんなことを考える自分が、この世で最も無価値なのだとも思う。世界で一番価値がないのは、このぼくだ。

説明が難しいのはここからで、ぼくは先に述べたような、一見するとすごくネガティヴな思考を、とてもポジティブに考えているということだ。自分に大した力がないことを自覚すれば、人に頼らざるを得ない。人に頼る、それが受け入れられるというのは、この世で一番楽しいコミュニケーションだ。自分に価値がない、というか、価値判断という行為を投げ捨てる。すると、自分に価値があるかとか、人生に価値があるかとか、そんな愚問に頭を悩ませずにすむ。

世界で一番、価値がないのは自分という存在である。そしてそれを喜ばしく思う。これこそ究極の謙虚。ひがみもない。人の良いところを積極的に認められ、知ったかぶりをすることもなく、勝ちも負けも素直に認められる。

…と、まるで悟ったかのようであるが、まだまだ道半ばである。自意識が頭をもたげたり、知ったかぶりしてしまったりということは、未だによくある。日々精進。

2015年12月16日水曜日

軽視

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。 
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ぼくはバカだから、そのときの価値観に照らし合わせて、すぐ物事を軽んじる。

例えば今は、ポエム的なこと、答えがない物事に対するマニュアル的な文章、他人が発見した「気付き」、綺麗事、その他自分が興味ない事柄全部、すぐに軽んじようとする。そして、そういうものに触れるのを避けようとするので、どんどんそういうものとの距離が開き、さらにそういうものを嫌うというループになる。

逆に今興味があることはリアルで生々しい出来事、人間のどうしようもなさ、生々しい欲求、資本の論理などだ。こういうものをみると、今は無条件に肯定し、そこに真実があるかのように感じ取ってしまう。

しかし、少し前までは全くの逆だった。非営利団体を立ち上げたり、社会事業を志してビジネスプランコンテストに入賞するくらいには。

要はまたも、価値観の問題なのだ。ぼくはその時々の価値観次第で、世界に対する見方が全く変わる。そして、ぼくが世界をどう眺めているかに関わらず、世界はありのままにある。

世界をありのままに見たい、という欲求は常に、強く抱いているが、それはおそらく果たされない願いなのだろう。価値観という呪縛。

ただ、自分が物事を軽んじて見た瞬間、そのことに気づくことはできる。その時、自分が「今、この瞬間の」価値観の奴隷になっていることを自覚できる。

つまり、「軽んじる」という行為をした瞬間に、ぼくは過ちを犯しているのだ。そうした過ちを自覚し、その時自分が軽んじようとした物事の価値を積極的に認めていく。こうしてようやく、自分の価値観という濁ったフィルターを、少しは透かして見ることができる、ような気がする。


2015年12月9日水曜日

2015/12/09 境界

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。 
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最近、チームのエンジニアリングについて知ったこと。

どうやっても、分業ってのは発生する。効率を求めるなら、担当者を一度決めたらあまり動かさない方がいい。誰でも、どこの仕事でもする、できるっていうのは、理想でも何でもない。

人がやってた仕事を引き継ぐと、どうしたって前任者の仕事を理解するのに時間が掛かる。また、自分の仕事のやり方と違うので、どうしたって気にくわない。で、結局、全部直したくなってしまう。リファクタリングという名目のもと、すべて書き換え、機能的にはデグレしたり、バグを仕込んでしまったりする。

だから、思い切って分業し、担当者を決めてしまうことが、全体の能率を最大化する一つの道だ。

ただし、二つ問題が生じる。
一つは意思決定の問題。意思決定者を分ける(これも分業)事になるので、意思決定者の責任が相対的に重くなる。意思決定者は、この重責に耐えなくてはならない。
もう一つは、縦割りの問題。担当者を分けてなるべく動かさないようにするなら、自分の責任範囲以外に関心がなくなるのは自然な流れだ。

これを打開するには、コミュニケーションするしかない。特に、責任範囲の境界線でのコミュニケーションは、とてつもなく重要。

2015年12月4日金曜日

2015/12/04

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。 
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学びの日々である。先日、TechFeedというアプリをリリースしたが、そこに至るまでの過程は、とてもではないがスマートとは言えないものだった。圧倒的な(うまくいかない)現実が日々押し寄せ、その場その場でベターと思われる対処を繰り返す。ベストなど、望むべくもない。問題を「解決する」などと甘っちょろいことは言っていられない。とりあえず対処して、問題を未来に先送りするのが精一杯。

…こんな文章を、少し前の自分が読んだら、「最悪」という評価を下しそうだ。問題は、いついかなる時でも根本的な解決を志すべし、と思っていたからだ。が、意外に毎日楽しい。問題を先送りするするにもコツがいる。状況と照らし合わせ、根本的な解決が可能か、無理なら今はどういう打開策を取るのかを素早く考えて実践していく。

若い頃、「完全燃焼」できる日々が欲しくていつも悶々としていた。自分の全てを傾けられるような仕事を欲していた。今は割とそんな感じだ。

しかし、この先に成功が待っている確率は、多くて1割と言ったところだろう。努力と結果が一致するわけはない。そんなことはそもそもどうでもいい。楽しければいいのだ、人生は。