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軽視

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。 
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ぼくはバカだから、そのときの価値観に照らし合わせて、すぐ物事を軽んじる。

例えば今は、ポエム的なこと、答えがない物事に対するマニュアル的な文章、他人が発見した「気付き」、綺麗事、その他自分が興味ない事柄全部、すぐに軽んじようとする。そして、そういうものに触れるのを避けようとするので、どんどんそういうものとの距離が開き、さらにそういうものを嫌うというループになる。

逆に今興味があることはリアルで生々しい出来事、人間のどうしようもなさ、生々しい欲求、資本の論理などだ。こういうものをみると、今は無条件に肯定し、そこに真実があるかのように感じ取ってしまう。

しかし、少し前までは全くの逆だった。非営利団体を立ち上げたり、社会事業を志してビジネスプランコンテストに入賞するくらいには。

要はまたも、価値観の問題なのだ。ぼくはその時々の価値観次第で、世界に対する見方が全く変わる。そして、ぼくが世界をどう眺めているかに関わらず、世界はありのままにある。

世界をありのままに見たい、という欲求は常に、強く抱いているが、それはおそらく果たされない願いなのだろう。価値観という呪縛。

ただ、自分が物事を軽んじて見た瞬間、そのことに気づくことはできる。その時、自分が「今、この瞬間の」価値観の奴隷になっていることを自覚できる。

つまり、「軽んじる」という行為をした瞬間に、ぼくは過ちを犯しているのだ。そうした過ちを自覚し、その時自分が軽んじようとした物事の価値を積極的に認めていく。こうしてようやく、自分の価値観という濁ったフィルターを、少しは透かして見ることができる、ような気がする。


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ちょっとしたゲーム要素があるおかげで、会話が盛り上がること、グループのメンバーと仲良くなれることは請け合いです😊
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無知

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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今日は、自分が一番物を知らなくて、一番物分りが悪くて、一番ピントがズレてて、そこに居た皆さんが先生で、ずっと緊張してて…最高に楽しかった。ぼくはなんだか、自分の世界を常に広げ続けていたいタイプらしい。願わくば、死ぬまで世界を広げ続けていたいものだ。自分に価値を求めないことで心の安寧を得ている人間としては、自分の慢心を打ち砕き、自分が一番無知であるような場は本当にありがたい。そんな場では、誰もぼくに特段の関心を払わない。なぜなら、その場で一番無価値な人間だからだ。
もちろんそんな場は居心地が悪い。逃げ出したい。不安だ。疲れる。つらい。
しかし、そんな場で素直に自分の無知を認め、自分よりも遥かに年下の人たちに教えを乞うという体験が、最高に刺激的で、生きていると言う実感さえ得られる。逆に言えば、居心地のいい場所でのんびり構えている時は、半ば死んでいるようなものとすら感じられる。願わくば死ぬまでこういう経験をしていきたいものだ。死ぬほど、生きろ。悪くないコピーじゃないか?