スキップしてメイン コンテンツに移動

メモ 2015/08/10 価値

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。 
----
ここ最近の、意味や価値について考えている思索の続き。

人間は、日々実に多くの価値判断をしながら生きている。

人間が1日に行う価値判断の回数はどれほどだろう?100?200?1000?

人間は、なぜ事物に価値を見出すのか?
価値の源泉はどこにある?

そんな根本的な問いを投げかけたとしても、「客観的に正しい」定義に辿り着ける気がさっぱりしない。価値の概念は、あまりにふわっとしすぎている。ぼくはよく知らないが、マルクスの剰余価値説だとか、ベンサムの功利主義などは、モデルとしては良いが、価値という不可思議な現象をあまりに単純化しているのではないかという予感を禁じ得ない。

そう言いつつも、自らその「過度な単純化」という(魅力的な)愚行にぼくも手を染めてみる。

価値の源泉は、最終的には本能的な快、不快に基づくのではないかと思う。そこに、後天的な学習の成果が幾重にも積み重なることで、価値判断の速度と精度を人それぞれに高めていく。例えば通貨という概念を理解すると、通貨を引き換えに様々な「快」を得られることを学び、より多くの通貨に価値を感じるようになる、といった具合だ。更に、「ダイヤモンドは高いもの」という学びのあとでは、ダイヤモンドに多くの価値を感じるようになる。

価値の高低を測るには、多くの情報を要する。例えば絵画一つ取っても、誰が描いたのか、金額に換算したらどうか、制作時期はどうか、そこに使用されている技巧、作品のテーマ、などなど、素人考えでも沢山出てくる。ましてや、例えば日本国憲法の価値を測る、としたらどうだろう。数かぎりない情報や見解を集めた末、結局価値が「ある」か「ない」か、意見が収束することはまずあるまい。

そして、価値を測る対象に付帯する情報、それを「属性」と呼ぶなら、それらの属性は全て対象物とシーニュの関係を形作る、と言って差し支えあるまい。

コメント

このブログの人気の投稿

ミッション

今日はぼくにとって重要な日となった。
個人のミッションステートメントを変更したのだ。

新しいミッションステートメントは「ひとのために生きる」である。

これまでのミッションステートメントは「0から1を、1つでも多く生み出す」であった。2014年、とあるイベントで人前で宣言してしまい、それ以来従事してきたミッションだ。それに従って数多くの物事を生み出してきて、クリエイティブな思考の鍛錬と、多くの人々をつないできた。

しかし数を追う思考になってしまい、集中力の欠如、配慮の欠如、作り手中心の目線、自己中心的な心理、サステナビリティの欠如、家族との時間が減る、などの弊害も生み出してきた。

とはいえ物事はすべて表と裏、トレードオフがあるものだ。弊害があったとしても、それを反省、後悔してミッションを変えるに至ったわけでもない。

ただ、スタートアップ創業者という立場によって集中を余儀なくされ、ミッションを字義通りに追いかけていくことが難しくなったこと、そして何より、ミッション・ステートメントから力を得られなくなっていたことが問題であった。

ミッションとは、自分の行動を一貫させ、意思決定のコストを減らし、物事を迅速に進めるためにある。そうした力を得られないミッション・ステートメントは、かえって弊害にしかならない。実際、ここ最近、謎のストレスと不完全燃焼感に付きまとわれていた。

そうしたとき、自分が最もやる気が出ることに思いを馳せると、「人が喜んでくれるのが嬉しい」というシンプルなことであった。自分の行動や言動で、人が笑顔になってくれることが嬉しい。その笑顔のためなら、自分は限界以上の力を出せる。

だから、「ひとのために生きる」である。

きれいすぎるフレーズなのは自覚している。個人のミッションは、あくまで自分のためのものなので、人にどう思われるかはどうでもいい。

コピーライターとして一つだけ工夫したのは、「ひと」をひらがなで開いたことだ。この「ひと」には、どんな漢字を充てても良い。「他人」でもいいし、「人」でもいいし、「人間」でもいい。

ただ、「ヒトノタメニイキル」というフレーズを耳にしたら、まずは「他人のために生きる」という漢字を想起するだろう。まずはそれでいい。その後、自分を含む「人」のために生きるというのもありだな、とか、「人間」もありだなとか、思い至ればいい。この、「『他人』…

「本好きの祭典」東京読書サミット#4を開催します!

今週土曜(7/6)、「東京読書サミット」というイベントを開催します📖

このイベントは今回で4回目。
毎回「本」と「本好きの人々」に囲まれた、幸せな空間を演出しております。
どんなイベントか? 今回で4回目ですので、だんだんイベントの「型」も定まってまいりました。
毎回こんな構成で行っております。

16:00-16:30 受付
16:30-16:35 はじめに
16:35-17:20 トークライブ
17:20-17:50 ビブリオトーナメント(予選)
17:50-18:00 10分間休憩
17:55-18:20 ビブリオトーナメント(決勝)
18:20-18:30 結果発表・写真撮影・終了
18:30-19:30 懇親会

ビブリオトーナメントとは?
ビブリオトーナメントとは、参加者同士をつなぐために考案された東京読書サミットの目玉企画です。

このワークショップでは、まず参加者の皆さまをグループに分けたあと、グループ内で「わたしの大事な一冊」をテーマにプレゼン&ディスカッション。

その後投票を行い、一番「読んでみたい」と思わせる本の紹介をした方は、決勝プレゼンに進むことができます。
(決勝プレゼンと言っても、司会者との対談形式で進めますので、あがり症の方でも安心です)



決勝プレゼン後の投票で一位に選ばれたら、その方と、その方を輩出したグループの皆様にはちょっとした景品を贈呈いたします。
ちょっとしたゲーム要素があるおかげで、会話が盛り上がること、グループのメンバーと仲良くなれることは請け合いです😊
トークライブトークライブは、ゲストが「わたしの大事な一冊」をテーマにして、縦横無尽に語り尽くします。

無知

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
====
今日は、自分が一番物を知らなくて、一番物分りが悪くて、一番ピントがズレてて、そこに居た皆さんが先生で、ずっと緊張してて…最高に楽しかった。ぼくはなんだか、自分の世界を常に広げ続けていたいタイプらしい。願わくば、死ぬまで世界を広げ続けていたいものだ。自分に価値を求めないことで心の安寧を得ている人間としては、自分の慢心を打ち砕き、自分が一番無知であるような場は本当にありがたい。そんな場では、誰もぼくに特段の関心を払わない。なぜなら、その場で一番無価値な人間だからだ。
もちろんそんな場は居心地が悪い。逃げ出したい。不安だ。疲れる。つらい。
しかし、そんな場で素直に自分の無知を認め、自分よりも遥かに年下の人たちに教えを乞うという体験が、最高に刺激的で、生きていると言う実感さえ得られる。逆に言えば、居心地のいい場所でのんびり構えている時は、半ば死んでいるようなものとすら感じられる。願わくば死ぬまでこういう経験をしていきたいものだ。死ぬほど、生きろ。悪くないコピーじゃないか?