2015年7月8日水曜日

メモ 2015/07/08 告白

このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。

恥ずかしい告白をすると、最近綴っているような抽象的な思索を今より活発に行っていた頃や、哲学の本をよく読んでいた頃、自分が高尚で価値の高いことをしている気になっていた。他人が得ていない多くの気付きを得ている気がして、自分がなんかすごい知識人になろうとしているような気がしてた。

今では、そんなふうに勘違いしていた自分が恥ずかしい。穴があったら入りたい。

自分がその時分に何かを考え、そこから何かを得ていたのだとすれば、同じ時分に同じように他の人々は何かを考え何かを得ていたわけで、そこに価値の高低などない。

例えばある人はゲームの攻略法を必死に考えていたかも知れないし、競馬の予想をしていたかもしれないし、女性を口説く方法を考えていたかもしれないし、ホモの妄想をしていたかも知れないし、お気に入りの嬢がいつ出勤するのかを頻繁にチェックしていたかもしれないし、ゲスい見出しを必死に考えていたかもしれない。これらに費やしていた時間と、ぼくが哲学とか思想にかぶれていた時間の間に、価値の高低などない。いやむしろ、自分が思い上がっていたことを反省する気持ちもあり、この世で最もくだらない時間だったとさえ思っている。

で、この先に述べるはずの結論は、すでに書いてしまった。読者不在の意識が、文章をいい加減にさせる。すなわち、人の考えることに価値の高低などないという話だ。職業に貴賎なしとか、天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずとか、似たようなことを表すフレーズは他にもあるが、まあそんなようなことを、思想や表現にも広げて考えている感じだ。
そして「価値の高低などない」と述べた返す刀でいきなり矛盾したことを言うと、自分の考えや活動が価値の高いなどと思い上がっている人間の考えこそが、最も価値が低いと思っている。下手の考え休むに似たりである。

で、ぼくはなぜいまだにこんなことをグダグダ考えているのかというと、ただただこのくだらない思索活動が好きだからとしか言いようがない。下手の横好きである。人間、いくらくだらなかろうと、好きなことをやっているのが一番よね。