2015年7月7日火曜日

メモ 2015/07/07 世代

昨日、祖母が亡くなった。
今日は急遽富山に飛ぶことになった。

ぼくは年を取る。同じように、他の人も年を取る。亡くなる人も出てくる。ぼくが日々何かを学ぶように、他の人も学んでいる。ぼくが日々何かを忘れるように、他の人も忘れていく。ぼくが変わるように、他の人も変わる。ぼくはなに一つ特別ではなく、同じ時代の人々と同じように生きている。皆、いずれ死ぬ。

最近、こうした「同時代に生きてる」大多数の人々に、妙なシンパシーを感じることがある。
別に、人類皆兄弟とか皆平等とか、宇宙船地球号とか、そんな博愛主義に目覚めた訳ではない。ただただ、自分がなに一つ特別なところなどなく、同じ時代に生きる「その他大勢」でしかないこと、それでいいと受け入れられるようになったこと、そして実は誰もが「その他大勢」なのだということを思うようになり、大統領だろうとホームレスだろうと、誰もが同じ時代をやっとこ生きてるに過ぎない、という当たり前の気づきが、妙な仲間意識をたまに呼び起こしているに過ぎぬ。「みな自分と同じく、なんとかかんとか生きているのだ」という思いが、会ったこともない人にすら妙な親しみを感じさせているのだ。

昔ならこんな感覚は、頭のおかしな博愛主義か、イっちゃったリベラリズムとでも捉えていたかもしれぬ。そうではない。自分の中では、単に、他者を捉える新たな見方を身につけたというだけのことである。別にこの見方が自分の中で支配的になるでもなく、単に一つ見方を増やしただけ。このように、引き出しがすこしずつ増えていくのは、年を取ることの妙味だと感じる。悪くない。