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このブログの方向性を考えてみた

昨日申し上げたように、このブログの過去記事を全部非公開にしたわけですが、今後の方向性を考えてみたいと思います。

まず、誰から読まれてもいいように、きちんと編集を行った(つもりの)テキストのみを公開するようにします。編集って言っても、自分しかいませんけどね。

ですます調を使います。ぼくは、メディアの縛りなどがなければ、外向けのコンテンツはすべてですます調で統一しています。その方が、「人に語りかけている」と自分が自覚できるから。「もはやネット上にプライベートな空間があるかのように振舞うことをやめる」というのが、ぼくの今回の心境の変化なので、すべてのテキストは人に読まれることを前提としたいのです。

毎日書く。ちょっとでもいいから書くようにします。これまで、日記という体裁でよしなしごとを綴ってきたのは、記憶力と言語化能力を鍛えるためでした。特に記憶力がやばくて、具体例を示そうと思ってもいい例を思い出せず、人に意図をうまく伝えられないことも頻発しているので、むしろ積極的にアウトプットしていきたいと思っています。

とは言え、人に読んでもらいたいという欲は出さない。これも今まで通りです。他人に読んでもらうことを欲すると、結局読んでもらうことが目的化し、「書きたいことを書く」という自由が失われてしまいます。とはいえ、これまでとは異なり「いつ読まれるかわからないことを前提とする」スタンスに変わった時点で、自由は相当失われている訳ですが…
以前の状態は、(読み手という)他者の不在を仮想することで自由に書いていましたが、「読み手は存在する」という現実を認めてしまった以上、ある程度の自由が失われてしまうのは致し方ありません。ここら辺のバランスは、書きながら探っていくことになるでしょう。

最後に、このブログはぼくにとって「表現の場所である」と定義して終わりたいと思います。これまでこのブログは「ひとりごと」でした。読む人はいない、と考えていたのですから当然です。これからは違います。

他者に読まれることを前提としながらも、読者がいないかのように自由に表現する。そして、読まれる事は欲さない。中々の難事業ですが、気楽に、気長にチャレンジしていきたいと思います。
「ネットに書く」という行為は、なんでこんなに難しいんでしょうね。

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「本好きの祭典」東京読書サミット#4を開催します!

今週土曜(7/6)、「東京読書サミット」というイベントを開催します📖

このイベントは今回で4回目。
毎回「本」と「本好きの人々」に囲まれた、幸せな空間を演出しております。
どんなイベントか? 今回で4回目ですので、だんだんイベントの「型」も定まってまいりました。
毎回こんな構成で行っております。

16:00-16:30 受付
16:30-16:35 はじめに
16:35-17:20 トークライブ
17:20-17:50 ビブリオトーナメント(予選)
17:50-18:00 10分間休憩
17:55-18:20 ビブリオトーナメント(決勝)
18:20-18:30 結果発表・写真撮影・終了
18:30-19:30 懇親会

ビブリオトーナメントとは?
ビブリオトーナメントとは、参加者同士をつなぐために考案された東京読書サミットの目玉企画です。

このワークショップでは、まず参加者の皆さまをグループに分けたあと、グループ内で「わたしの大事な一冊」をテーマにプレゼン&ディスカッション。

その後投票を行い、一番「読んでみたい」と思わせる本の紹介をした方は、決勝プレゼンに進むことができます。
(決勝プレゼンと言っても、司会者との対談形式で進めますので、あがり症の方でも安心です)



決勝プレゼン後の投票で一位に選ばれたら、その方と、その方を輩出したグループの皆様にはちょっとした景品を贈呈いたします。
ちょっとしたゲーム要素があるおかげで、会話が盛り上がること、グループのメンバーと仲良くなれることは請け合いです😊
トークライブトークライブは、ゲストが「わたしの大事な一冊」をテーマにして、縦横無尽に語り尽くします。

無知

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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今日は、自分が一番物を知らなくて、一番物分りが悪くて、一番ピントがズレてて、そこに居た皆さんが先生で、ずっと緊張してて…最高に楽しかった。ぼくはなんだか、自分の世界を常に広げ続けていたいタイプらしい。願わくば、死ぬまで世界を広げ続けていたいものだ。自分に価値を求めないことで心の安寧を得ている人間としては、自分の慢心を打ち砕き、自分が一番無知であるような場は本当にありがたい。そんな場では、誰もぼくに特段の関心を払わない。なぜなら、その場で一番無価値な人間だからだ。
もちろんそんな場は居心地が悪い。逃げ出したい。不安だ。疲れる。つらい。
しかし、そんな場で素直に自分の無知を認め、自分よりも遥かに年下の人たちに教えを乞うという体験が、最高に刺激的で、生きていると言う実感さえ得られる。逆に言えば、居心地のいい場所でのんびり構えている時は、半ば死んでいるようなものとすら感じられる。願わくば死ぬまでこういう経験をしていきたいものだ。死ぬほど、生きろ。悪くないコピーじゃないか?

笑み

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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今この瞬間にしか書けないことを書く(だからこそあとで見ても意味がわからない、たぶん)。ちゃんと笑っている。ちゃんと無意識に笑みを浮かべている。ぼくの意見を否定されたのに。そのことに気付いたとき、ものすごく嬉しかった。ぼくは今、くだらない自尊心が心のどこにも無かった。目的が達成できるなら自分の意見や存在などどうでもいいと思っていた。そして、人が遠慮ない意見をぼくにくれる、この状況を心から楽しんでいた。40年生きて、ようやくここまで来た。第一歩だ。自分のことを健やかに軽んじることができた。ありがたし。