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真白く照り輝く月が綺麗だった。とても。とても。
7月が、終わる。
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抽象

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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前回のエントリで、「ぼくは根源を求める思考様式には慣れている」と書いた。しかしこの記述にも違和感がある。実際ぼくは、そこまで細部に関心を抱く方ではないからだ。言ってみれば、雑で細かいことを気にしないタイプ。

それよりも、物事を抽象化して考える事のほうが好きだ。具体的な事象を並べ、そこから抽象的なモデルを引き出す。

根源や原子を求めるという行為と、抽象化するという行為を混同してしまったのはなぜだろう?

また、抽象化するというのは、言わば「メタ」な考え方をするということ、つまり「上のレベル」で考えるということだ。そうして、「上のレベルで考える」ことに慣れているはずの自分が、なぜビジネスのレベルで物事を考えるということができずに、ここまで苦しんでいるのだろうか?

これら自体非常に抽象的で、考えることに意味があるかどうかわからない問いだ。そもそも、「上のレベル」などと言っているが、ここで用語の混同もありそうな気がする。思考が混乱した挙句に、言語が混乱して生じた、前提のおかしな問いなのかもしれない。

まあ、愚にもつかない問いを立てて、考えるもよし忘れるも良し。

両端

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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根源を求める、という思考様式を繰り返してきた。

なぜ?を繰り返して根源にたどり着く。
問題を分解し、少数(できれば一つ)の要素にたどり着く。

別にこういう思考様式が悪いとは思わない。こういう思考様式を繰り返してきたからこそ、得られるものもある。「詳細まで知り尽くす」事によってしか得られないものは、あるものだ。
物理運動を語るとか、システムの動きを語るとか。内部を語り、モノを自在に操るには、どうしても細部に向かう思考が必要となる。

ただ、現在事業づくりをしていて、こうした思考様式が全く通じない世界があるとわかった。投資家は、哲学を求めない。原因を求めない。まず「どう儲かるのか?」が説明できないと、全く話にならない。

いつもの癖で、ぼくが抱えるこうした問題の根源をやはり求めてみる。思うに、根源を求める思考と、ビジネス的なマインドの間には、大きく分けて2つの隔たりがある。

一つは、根源を求める活動は静的であることだ。根源にたどり着いたと思ったところで、そこには運動がない。対して、ビジネスは非常にダイナミックだ。時間の経過で状況はどんどん変化する。

もう一つは、根源を求めたところで、その根源となる部分の寄せ集めで全体を語ることができないということだ。これはシンプルに全体論の議論と重なる。部分を足し合わせても全体にはならない。

そして更にこれはレベルがある。低レベルの詳細は、それより上のレベルからは隠蔽されているし、そうあるべきだ。分子運動を研究する研究者は、原子核の詳細を知る必要はない。心理学を研究する研究者は、脳細胞の詳細を知る必要はない。そして、経営をするものは製品の詳細を知る必要はないし、投資を行うものは企業活動の詳細を知る必要はないのだ。

そんなことはない、という反論もあろう。低レベルの詳細を知っておくに越したことはない、と。その反論に対し、実際の現象を引き合いに出さずに再反論することは難しい。天候現象を知るために、クオークの理論を知る必要があるだろうか?と。ただ、これは経験したことがない人に心の底から納得してもらうのは極めて難しいように思える。

今苦しんでいることは、上の2つ、ダイナミズムへの無理解と、全体論的な現象に集約されていると言っていい。

ぼくは、時系…

2017

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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やはりというかなんというか、去年末に色々振り返って書こうと思っていたのに、そのまま年を越してしまった。
どうせなら軽く振り返ったり、今年の抱負を述べてみるとする。

去年は、TechFeed 開発の傍ら、いろんな企画ごとに取り組んだ。ざっと挙げてみるとこんな感じ。

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【運営中のプロダクト】
・TechFeed…エンジニア向けニュースアプリ&コミュニティ
・HTML5Experts.jp…Web技術者向けメディア&コミュニティ

【運営中コミュニティ】
・読書するエンジニアの会(2009年〜)…テーマ型読書会。もう110回もやっている…!
・やせ隊(2016年〜)…ほとんど活動休止中。ダイエットできてないから😫来年頑張る
・ゆるGEB (2017/4/27〜)…「ゲーデル、エッシャー、バッハ」という難読本をゆるく読むコミュニティ。月イチ開催
・なんでも鑑賞団 (2017/6/9〜)…お酒飲みながらみんなで映画見てダベるのが中心のコミュニティ。月イチ開催

【イベント企画・運営】
・1/17 Webの未来を語ろう メディア編…対談イベント&記事化
・1/18 Webの未来を語ろう コミュニティ編…対談イベント&記事化
・1/29 作田高志さん結婚式二次会…「作田全開」がテーマ。面白かった。
・2/20 Webの未来を語ろう コンテンツ編…対談イベント&記事化
・3/31 3月お誕生日会…3月生まれを集めて飲み会。
・4/4 Web Components時代のCSS設計…対談イベント&記事化
・4/17 TechPub#2 コンセプトメイキングワークショップ…コンセプトメイキングをテーマに初のワークショップ
・4/21 懐テク#0…対談イベント&記事化
・4/27 Mastodonを支える技術…対談イベント&記事化
・5/20,21 ONA Japanハッカソン…メディア各社集めての大ハッカソン大会。世界大会予選という位置づけ。
・5/22 Hello Again#1…一度会ったきりとかご無沙汰な方を集めての飲み会。個人的に超気に入ってる企画
・8/3 TechFeed Meetup…TechFeedのユーザー集めてのミートアップ初開催。あえての小規模。
・8/2…

貪欲

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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ふと、過ちに気づいた。「自分の中で答えが出てしまったから、ブログに何も書いていなかった」などと書き、実際にそうも思っていたのだが、なんと思い上がっていたのか。

実際に、ぼくの迷いや悩みは消えていない。質が変わっただけ、もしくは単に問題と正面から向き合わなくなっただけだった。

そして、「答えが出た」などと思い上がっていたこの期間、成長という成長をしていない。いや、ぼくは「成長」という言葉が嫌いだ。伸びていくべき方向が定まっているかのように聞こえる。変化だ。変化していない。変化していないということは停滞だ。ぼくは停滞していた。

満足する、というのは人間にとって害悪なのだと思う。満足は停滞を生む。現状への不満こそが、変化への希求を生む。

そういう点で、真に謙虚であることは、真に貪欲なのだとも思う。自分なんてまだまだ、というのは、自分にはまだまだ変化の余地がある、成長の伸び代があると言っているのに等しい。生涯謙虚であれば、生涯自分の伸び代を信じて、死ぬときまで変化し続けていられる。

もうすぐ齢40を迎えんとするにあたり、「どう老いるか」を考えることが増えてきた。今までなかなかそのビジョンが像を結ばなかったのだが、この文章を書いていて多少明確になってきた。

老いで停滞すること、変化を止めることが、ぼくは恐ろしい。恐ろしくつまらない。例え身体が動かなくなっても、変化していきたい。そのために、無限に謙虚でいること。そうして、最後まで自分を未完成のままにおき、最後まで自分の可能性を信じるという貪欲の中で死ぬこと。それを一旦目標に置いてみて、しばらく様子を見るとしよう。

確認

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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最近振り返ろうとしている、長いくだらない思索の時間は、大人なら誰でも知っていることを、順を追って「確認」している作業だったという気がする。

例えば自分は決して特別じゃない、自分の人生に価値など見出さなくていい、自分を嫌う人がいるのはしょうがない、友だちなんていなくてもいい、歴史上の理由で決まっていることはたくさんある、何に価値をどれだけ感じるかなんて人それぞれ、体験できることには限りがある、人は理屈より先に感情で答えを出している、物事は言葉では表しきれない、言葉には毒も副作用もある、しかし言葉に代わるツールはない、法律や道徳には無視する自由もある、などなど。

数年前はこれらをわかっていなかったのかと思うと、自分の無知にぞっとする。いや、今でもわかったのかどうか不安が残るが。

しかしそもそも、こういうことを全く知らなかったはずはない。さすがに。だから「確認作業」だったのだ。何となく了解している、しかしそれが「何となく」だからこそ捉えきれていなかったことを、先人たちの言葉に触れることで確認し、実体を捉える作業だった。自分が世界について思い込んでいたことを引き剥がし、ただ事実がありのままに言葉になっているのに触れるだけで「気づき」だと感じていたことがよくあった。

だから、さんざん考えたあと「元の位置に戻った」「一歩も先には進んでいない」という感覚を持つことが多かったのだ。単なる事実確認だったからこそ。

小さい人間の常で、自分が曖昧模糊とした「哲学」とやらをしているとき、自分が高尚な事をしているような気分になって悦に入ったり、人にそれとなく自分の高尚さをアピったりしたものだ。

今では、本当にくだらない時間だったと思う。こんな確認作業をわざわざしなくとも、世界の実像を捉えられる人はたくさんいる。ただ残念ながら、ぼくには必要だったのだ。この小さな小さな人間には。くだらないけど必要な時間ではあった。一般には価値はないけど、ぼくには有用ではあった。

歴私

注意:このブログは、読者不在を心掛けつつ、白石俊平個人の私的な文章を面白くなく綴るものです。
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先日のブログで、これまで考え散らしたことを統合したいと述べたものの、なかなか書き出せずにいる。筋道立てて、読者の心にすんなり入っていくような文章を書こうと考えたりすると、どうしても時間がかかってしまう。

と、このブログは読者不在を心がけていることに気付く。そう、考えるくらいなら書け。ということで、書きながらまとめていく。というかどうせまとまらないだろうが、自分の中で以前よりも系統立てて整理できていれば、これから一連の記事を書こうとしている目的は果たせたというものだ。

そもそもぼくがしちめんどくさい思索の渦に巻き込まれるようになったのは、2010年だったか、確か新幹線移動をしている最中に、ふと「この社会は何なのか」と考え、マインドマップで整理し始めたことから始まる。

ただただ考えの枝葉を伸ばし、世界について生まれて初めて深い関心を寄せながら、今考えれば極めて幼稚な世界像を組み立てて悦に入っていたのを覚えている。

そのうち、自分の知っている材料だけから類推するのでは物足りなくなって、本を読み出した。そうして多少の本を読んで、これまで気づいていなかったことにいくつも気付かされる快感に目覚め、そのたびに考えが深まっていったような気持ちになったものだ。

そうしてどんどん頭でっかちになり、くだらない思想の偏りや、現実世界での看過し得ない副作用と、個人的には身がよじれるような悩みの時期を経て、たどり着いたのはウィトゲンシュタインやニーチェ、フッサールなどの「反哲学」だった。

そこから言語を疑い、価値を嘲り、全ての思想を思い込みと断ずる時期を経て、自分がいかにものの見方を変えようとも世界は1ミリも変わらず、しかし世界像は自在に変化し、それこそがぼくにとっての世界といえるものかもしれず、だとすると世界はいかようにでも変えられ、となれば自分が見たい見方で世界を見るためには自分が人生に満足するしかないと感じ、結局自由の問題に至り、自分なりの答えを出し、今ここに至る。以上。